活動紹介

全国大会

年に1度、テーマを決めて全国大会を開催しています。

日程 (決定している日程のみ掲載しています)

  • 第63回全国大会(高知 市開催)
  • 日程 2019年9月19日(木)、20日(金)
  • 会場 ザクラウンパレス新阪急高知
    780-8561 高知市本町4-2-50
    TEL 088-873-1111

過去の全国大会

開催年(回) 場所 参加者 メーンテーマ 基調講演(テーマ・講師)
2018(第62回) 札幌 311名 その伝え方、信頼されていますか 「Deep Insight 21世紀の今、起っているコンテンツ価値の劇的変化と日本のメディア産業の発展と期待について」角川 歴彦氏(KADOKAWA会長)
2017(第61回) 長野 310名 いま、メディアの信頼と役割は 「いま、メディアの信頼と役割は」保阪 正康氏(作家)
2016(第60回) 福岡 317名 メディアはどう進化すべきか 「憲法とメディア」濱田 純一氏(放送倫理・番組向上機構理事長)
2015(第59回) 金沢 284名 戦後70年―変革の時代に求められるメディアの役割 「ダントツの強みを磨け〜企業と国の構造改革〜」坂根 正弘氏(コマツ相談役)
2014(第58回) 松江 278名 岐路に立つ社会でメディアに求められるもの 「竹島問題と歴史認識」下條正男氏(拓殖大学国際学部教授)
2013(第57回) 仙台 348名 震災被災地で問う 日本のあすとメディアの責任 「地域の言葉、言葉の力 ~震災が露わにしたもの」熊谷達也氏(作家)
2012(第56回) 那覇 290名 沖縄で問う 日本の今とメディアの責務任 「沖縄問題とメディア」大田昌秀氏(元沖縄県知事)
2011(第55回) 名古屋 353名 震災・原発 検証メディアの責務 「大震災を乗り越えて -日本復興への提言」貝原俊民氏(前兵庫県知事)
2010(第54回) 新潟 313名 激変するメディア環境にどう向き合うか 「拉致問題とマスコミ -取材される側と取材・報道する側」曽我ひとみ氏(拉致被害者)
2009(第53回) 松山 332名 変容する時代にメディアの原点を問う 「今、メディアは責任を果たしているか」山川洋一郎氏(弁護士)
2008(第52回) 熊本 319名 メディアの力、責任、そして可能性 「再審無罪判決と残された課題」免田榮氏、大出良知氏
2007(第51回) 福井 351名 再確認! 市民の目線 メディアの目線 「拉致報道から見たマスメディア」島田洋一氏(福井県立大学教授)
2006(第50回) 山形 320名 問い直そう!メディアの価値と役割 「マスメディアの社会的責任とマスコミ人の社会力」門脇厚志氏(筑波学院大学学長)
2005(第49回) 広島 322名 メディアの明日はどうあるべきか! 「時流とメディア」平岡敬氏(前広島市長)
2004(第48回) 神戸 333名 いま、ジャーナリズムの原点へ 「書き言葉のゆくえ ~読むニュース、観るニュース」高村薫氏(作家)
2003(第47回) 青森 307名 国家、市民、メディア 「責任倫理と批判精神」長部日出雄氏(作家)
2002(第46回) 長野 304名 いま問われるメディアの意識改革 「メディアと正義」吉岡忍氏(ノンフィクション作家)
2001(第45回) 宮崎 268名 市民感覚とメディアの責務 「メディアと権力」高山文彦氏(作家)
2000(第44回) 札幌 289名 報道規制とメディアの自律 「ジャーナリズムと批判精神」野田正彰氏(京都女子大学教授)
1999(第43回) 富山 271名 新時代のプライバシ-とマスコミ 「人権・プライバシーに思うこと」佐木隆三氏(作家)
1998(第42回) 徳島 267名 多メディア時代における信頼性確立のために 「人権と人間の自由の間」瀬戸内寂聴氏(作家・寂庵庵主)
1997(第41回) 松江 290名 報道の自由と責任 「少年犯罪とマスコミ」佐々木和郎氏(弁護士)
1996(第40回) 秋田 246名 マスコミの自律と知る権利 「官官接待と情報公開 ―仙台市民オンブズマンの活動から」小野寺信一氏(弁護士・前仙台市民オンブズマン事務局長)

分科会テーマ

第62回(2018年 札幌市)「その伝え方、信頼されていますか」
報道
  • A班 岐路に立つ実名報道
  • B班 極端化する災害と取材・報道
  • C班 ネット時代を、マスメディアはどう生き抜くか
  • D班 公文書管理と情報公開
  • E班 働き方改革
広告
  • F班 国民投票法を考える
  • G班 地方活性化と広告の可能性
第61回(2017年 長野市)「いま、メディアの信頼と役割は」
報道
  • A班 実名報道の意義
  • B班 <未災>の取り組み ―― 報道がすべきこと/できること
  • C班 報道と地方自治
  • D班 ネット時代に世論はどのように作られるのか
  • E班 国益とメディア-在日米軍基地、原発問題をどう報じるか
広告
  • F班 多様性・双方向性の時代に求められる広告とは~インターネットCM事例を参考に~
  • G班 メディアの法的責任と倫理的責任――その責任の範囲は
第60回(2016年 福岡市)「メディアはどう進化すべきか」
報道
  • A班 なぜメディアは実名で報じるのか
  • B班 デジタル時代に求められる報道倫理とは〜新たな挑戦と課題
  • C班 メディアは被災者にどう向き合うか~熊本地震の現場から~
  • D班 政治と世論とメディア-安倍政権とメディアの関係から、これからの政治報道のありかたを考える
  • E班 東京五輪・パラリンピックが直面する課題とメディアの役割
広告
  • F班 オリンピックと広告
  • G班 震災(災害)と広告
第59回(2015年 金沢市)「戦後70年―変革の時代に求められるメディアの役割」
報道
  • A班 戦後70年報道-歴史認識と戦争の記憶が揺らぐ時代にメディアの果たす役割とは
  • B班 災害をどう伝えるか~『風評』」と『風化』を乗り越えるために
  • C班 ネット時代のマスメディア-求められる報道倫理や新たな役割とは
  • D班 わがまちはよみがえるか―羅針盤としてのメディアの使命
  • E班 有事法制と安保問題をどう報じるか-言論の役割を考える
広告
  • F班 広告とメディア。その独立性と信頼性を考える
  • G班 規制緩和と広告の自主性
第58回(2014年 松江市)「岐路に立つ社会でメディアに求められるもの」
報道
  • A班 東アジアにおける領土問題・歴史問題をどう報じるか-竹島、尖閣を中心に
  • B班 震災報道をいかに継続していくか-震災報道の歴史的視点から未来を探る
  • C班 原発問題をどう伝えていくか~再稼働・放射線をめぐる議論を中心に
  • D班 『知る権利』に資するために~特定秘密保護法をはじめとした取材規制を越えて
  • E班 人口減社会をどう報じるか-地域の視点で考える
広告
  • F班 多様性の時代における広告
  • G班 広告にとっての真実と信頼-媒体社と消費者の視点
第57回(2013年 仙台市)「震災被災地で問う 日本のあすとメディアの責任」
報道
  • A班 震災報道をどう継続し、次なる被害に備えるか~復興と風化の視点から
  • B班 命と地域を守る~防災・減災で報道に何ができるか
  • C班 福島をどう伝えていくか~原発事故報道の現状と課題
  • D班 原発問題をどう論じるか~エネルギー需給・地域経済の視点から
  • E班 憲法改正論議をどう伝え、どう論じるか
広告
  • F班 広告からみた復興Ⅰ
  • G班 広告からみた復興Ⅱ
第56回(2012年 那覇市)「沖縄で問う 日本の今とメディアの責務」
報道
  • A班 沖縄に依存する日本の安全保障を問う
  • B班 沖縄問題の実相―本土復帰40年に考えるメディアの役割
  • C班 東日本大震災 メディアが伝えたこと、伝えられなかったこと
  • D班 原発報道 ジャーナリズムがめざすべきもの
広告
  • E班 広告が、今できること
第55回(2011年 名古屋市)「震災・原発 検証メディアの責務」
報道
  • A班 福島原発事故 取材の壁・報道の揺れ
  • B班 減災・防災報道
  • C班 被災者から見た報道
  • D班 原発災害をいかに伝えるか
  • E班 ソーシャルメディアと既存メディア
広告
  • F班 大震災と広告①―震災時の広告状況と復興に向けて
  • G班 大震災と広告②―読者・視聴者は広告をどう見たか
第54回(2010年 新潟市)「激変するメディア環境にどう向き合うか」
報道
  • A班 検察とメディア
  • B班 検察審査会と裁判員制度の現状と課題
  • C班 ネット時代のジャーナリズム
  • D班 メディアの驕りとつけこむ規制
  • E班 地方権力とメディア
広告
  • F班 変質する広告と、その先の倫理
  • G班 消費者庁の一年
第53回(2009年 松山市)「変容する時代にメディアの原点を問う」
報道
  • A班・B班共通 検証-裁判員裁判の取材・報道
  • C班 えん罪と報道
  • D班 内部告発と報道
  • E班 新型インフルエンザと報道
広告
  • F班 特定商取引法と広告
  • G班 消費者保護から考える、媒体価値
第52回(2008年 熊本市)「メディアの力、責任、そして可能性」
報道
  • A班・B班共通 変わる刑事司法と報道-裁判員制度、犯罪被害者の法廷参加
  • C班 匿名社会と取材・報道の自由
  • D班 ネット社会とメディアの倫理
  • E班 犯罪被害者の取材と報道 
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  • F班 クレーム社会と媒体の責任
  • G班 広告表現を考える-人権、差別を中心に
第51回(2007年 福井市)「再確認! 市民の目線 メディアの目線」
報道
  • A班・B班共通 公正な裁判と報道の自由-裁判員制度、被害者の裁判参加に向けて
  • C班 放送法改正等のメディア規制と報道の自由
  • D班 メディアと人権の諸問題
  • E班 パソコン・ネット社会とメディアの倫理
広告
  • F班 広告審査の限界と課題
  • G班 広告表現を考える-人権、差別を中心に
第50回(2006年 山形市)「問い直そう!メディアの価値と役割」
報道
  • A班 匿名社会と報道の自由
  • B班 メディア・スクラムと報道被害
  • C班 被害者報道と実名・匿名問題
  • D班 ネット時代のメディアと倫理
  • E班 スポーツ報道の今日的課題
広告
  • F班 広告表現の自由と限界
  • G班 消費者保護・媒体責任と広告の自由

例会

日程 (決定している日程のみ掲載しています)

  • 6月7日(金)午後3時
    講師:臼田 信行氏(東京新聞取締役編集局長)
    テーマ:「何のための記者会見か―首相官邸の質問制限問題」
    会場:日本新聞協会 日本新聞協会7階大会議室

過去の例会(2012~2019)

※2014年度の実施分までは東京地区例会の実績です

開催日 講師役職 講師氏名 テーマ
2019年 5月15日 一橋大学名誉教授、前個人情報保護委員会委員長 堀部 政男 個人情報保護委員会の5年を振り返る-個人情報保護法制見直しの課題とメディアへの期待
3月8日 作家・近現代史研究者 辻田 真佐憲 空気の検閲とは―現代メディアの責任
2月5日 ドキュメンタリー制作者 信友 直子 ドキュメンタリーを撮る、ということ
1月15日 法政大学 現代福祉学部教授 眞保 智子 障害者雇用の現状・課題と報道に望むこと
2018年 12月17日 津田塾大学客員教授、元厚生労働事務次官 村木 厚子 日本を変える静かな改革とは―メディアに求める視点
11月19日 弁護士 大和法律事務所 滝本 太郎 カルトと報道-オウム事件が投げかけるもの
10月30日 慶應義塾大学 法科大学院教授 山本 龍彦 EUのGDPRと人権を考察する
7月17日 国際戦略研究所理事長 田中 均 北朝鮮問題をどう報じるべきか
5月28日 弁護士 岡村 勲 全国犯罪被害者の会の18年間
4月11日 長野県短期大学准教授 瀬畑 源 公文書管理の実態とメディアの役割
2月28日 日弁連副会長/法制審議会少年法・刑事法(少年年齢・犯罪処遇関係)部会の日弁連バックアップ会議事務局長 加藤 裕/水野 英樹 少年法の改正と刑罰制度改革について
1月31日 弁護士・森・濱田松本法律事務所 池村 聡 報道における著作物利用
2017年 12月13日 マンガ・アニメ海賊版対策協議会・マンガWG幹事 /集英社編集総務部次長 伊東 敦 海賊版サイト事件の本質とメディアの役割
11月14日 内閣官房 内閣セキュリティーセンター 内閣参事官 山内 智生 サイバー攻撃に起因する社会的障害とその際の情報発信の課題
10月26日 東京都市大学准教授・メディア研究専攻 李 洪千 朝鮮半島情勢を報じる視点
9月8日 評論家・「シノドス」編集長/東京新聞社会部 荻上 チキ/望月 衣塑子 SNS時代の一次情報とメディア
7月19日 放送倫理・番組向上機構放送倫理検証委員会委員長/弁護士 川端 和治 放送倫理検証委員会設立10年-第3者機関の意義と課題
6月15日 ジャーナリスト 大熊 一夫 日本の精神障害施策の問題、報道の課題
5月23日 京都大学大学院法学研究科教授 曽我部 真裕 個人情報保護法とメディア
4月24日 スマートニュース執行役員事業開発担当 藤村 厚夫 偽ニュースにどう取り組むか
3月8日 弁護士・日弁連共謀罪対策本部 山下 幸夫 『共謀罪法案』が表現の自由に与える影響
2月22日 「性暴力と報道対話の会」世話役 山本潤さんほか数人 「性暴力被害取材のためのガイドブック」公表の経緯と概要
1月12日 講師:「ネット時代の報道倫理研究会」幹事
(朝日新聞東京本社コンテンツ戦略ディレクター兼ソーシャルメディアエディター)
藤谷 健 ネット時代の報道倫理研究会
同研究会副幹事
(日本放送協会社会部専任部長)
堀部 敏男
2016年 12月13日 東京大学大学院総合文化研究所教授 矢口 祐人 米大統領選-メディアはアメリカ社会をどうとらえたか
11月14日 放送大学教授 原 武史 天皇陛下退位をめぐる報道のこれまでとこれから
10月14日 神奈川県手をつなぐ育成会会長 依田 雍子 相模原やまゆり園事件-障がい者の報道に期待すること
9月12日 専修大学法科大学院教授 棟居 快行 憲法改正国民投票と報道のあり方
7月6日 早稲田大学教授・日本世論調査協会常務理事 谷藤 悦史 世論調査の現状と将来
6月14日 ジャーナリスト 津山 恵子 トランプ大統領候補はなぜ生まれたのか-変容するアメリカ社会
5月25日 ヤフーニュース事業本部メディアビジネス部長 祝前 伸光 ヤフーのメディア事業の現状と今後の展開
4月25日 日本放送協会仙台放送局アナウンサー/岩手日報社報道部長 津田 喜章/神田 由紀 東日本大震災 報道の歩みと今後の課題
3月29日 電通MCプランニング局メディアビジネス・イノベーション室メディアイノベーション研究部部長 北原 利行 日本の広告の行方
3月2日 東海テレビ報道局プロデューサー/東海テレビ報道局副部長 阿武野 勝彦/土方 宏史 暴力団報道は難しいのか
1月21日 東京工業大学准教授 西田 亮介 政党の広報戦略とメディア
2015年 12月16日 ハフィントンポスト 猪谷 千香 図書館の役割を問い直す
11月10日 弁護士・日本大学芸術学部客員教授 福井 健策 五輪エンブレム問題と知的財産権
10月27日 弁護士 師岡 康子 ヘイトスピーチと表現の自由
9月8日 SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動) 奥田 愛基 安全保障関連法案審議に見る日本の政治
7月15日 慶応義塾大学メディア・コミュニケーション研究所教授 鈴木 秀美 放送の自由と国家権力との関係―諸外国の実情を踏まえ
6月10日 特定非営利活動法人虹色ダイバーシティ代表 村木 真紀 LGBT問題をどう報じるか―メディアに求められる視点
5月11日 ノンフィクションライター 藤井 誠二 少年犯罪はなぜ起こるのか―川崎市中学生殺害事件を踏まえ
4月13日 フリージャーナリスト 常岡 浩介 イスラム国による日本人人質事件とメディア報道
2月16日 神戸新聞社編集局報道部次長兼編集委員 長沼 隆之 阪神・淡路大震災から20年 ―復興に向けメディアの果たした役割
1月28日 NPO法人Youth Create代表 原田 謙介 昨年12月の衆議院解散総選挙はいったい何だったのか
(株)ニワンゴ代表取締役社長 杉本 誠司
2014年 12月8日 同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授 内藤 正典 イスラム国をめぐる情勢とメディアの報道について
11月21日 千葉科学大学危機管理学部教授・毎日新聞客員編集委員 大澤 文護 日韓関係の現状とメディアの役割について
10月23日 首都大学東京都市教養学部教授・社会学者 宮台 真司 朝日新聞慰安婦報道問題をどう検証するべきか
10月8日 現代史家 秦 郁彦 従軍慰安婦報道と日韓関係のあり方について
9月17日 弁護士 紀藤 正樹 個人情報流出の現状と危機管理
―ベネッセの顧客情報流出事件を踏まえて
7月28日 東京新聞論説兼編集委員 半田 滋 現場報告 集団的自衛権と自衛隊
6月24日 弁護士・袴田再審事件弁護団長 西嶋 勝彦 袴田事件を契機に日本の刑事司法は変わるか
5月27日 大阪大学全学教育推進機構准教授 中村 征樹 STAP論文不正疑惑問題はなぜ起きたのか ―研究不正行為と科学倫理
4月24日 日本コカ・コーラ(株)ディレクター&シニアリーガルカウンセル/ニューヨーク州弁護士/日本商標協会常務理事・同協会ブランド・マネジメント委員会委員長 足立 勝 「アンブッシュ・マーケティング」と法的問題
3月13日 福島民報社取締役編集局長 佐藤 光俊 東日本大震災から3年 ―福島の復興状況と課題
福島民友新聞社編集局長 菅野 篤
2月28日 弁護士・日本弁護士連合会「秘密保全法制対策本部」前事務局長 清水 勉 特定秘密保護法の問題点と今後に向けて
―情報保全諮問会議の動きを踏まえて
1月29日 中央大学総合政策学部准教授 宮下 紘 ビッグデータの活用とプライバシー保護
2013年 12月9日 山陰中央新報社編集局報道部担当部長 森田 一平 「はだしのゲン」閲覧制限など教育問題とメディアの役割
11月11日 東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会副理事長/元ミズノ会長 水野 正人 2020年東京オリンピック招致活動とメディア
10月24日 名古屋大学法学研究科教授 大屋 雄裕 児童ポルノ禁止法改正案とその論点
9月17日 朝日新聞東京本社科学医療部 岡崎 明子 生命倫理とメディアの役割について
7月30日 東京大学大学院教授 長谷部 恭男 憲法「改正」をめぐる課題
6月26日 ジャーナリスト 安田 浩一 「ネットと愛国」の取材を通して~在特会とネットファシズム、そして差別について
5月13日 ダイアログ代表取締役社長/選挙プランナー 松田 馨 ネット選挙解禁で変わる選挙と報道
4月15日 朝日新聞東京本社編集委員 緒方 健二 警察の今
3月15日 福島民報社報道部長 早川 正也 大震災から2年 ―福島の現状と課題
2月19日 にんげん出版代表取締役社長 小林 健治 マスコミと差別を考える ―「週刊朝日」問題を契機に
1月22日 演劇・演芸評論家 矢野 誠一 芸能の今とメディアの責任
2012年 12月12日 NPO法人自立生活サポートセンター「もやい」事務局長/反貧困ネットワーク事務局長 湯浅 誠 貧困問題の現状と報道への思い
11月29日 ジャーナリスト 富坂 聰 日本人の知らない中国人の現実
10月9日 毎日新聞東京本社社会部副部長 澤 圭一郎 いじめ問題の構造と報道の問題点
9月10日 NHK報道局編集主幹 松坂 千尋 災害報道にいかに東日本大震災の教訓を生かすか
7月30日 立命館大学産業社会学部教授 奥村 信幸 米ジャーナリズムの危機を考える ―FCCリポートを素材に
上智大学文学研究科新聞学専攻博士後期課程 国枝 智樹
6月20日 スポーツライター 玉木 正之 ロンドン五輪を見る視点
5月25日 電通総研メディアイノベーション研究部 研究主幹 北原 利行 マス媒体広告の行方
―具体的データから見える社会の意識変化を踏まえて
電通総研メディアイノベーション研究部 チーフ・メディア・リサーチャー 立木 学之
4月17日 岩手日報社 編集局次長 川井 博之 大震災から1年 ―被災地新聞の歩みと課題
河北新報社 編集局次長 武田 真一

「メディアと法」研究会

日程 (決定している日程のみ掲載しています)

  • 【第3回研究会】
    6月18日(火)午後3時
    場所:日本新聞協会 7階大会議室
    講師:栄留 里美氏(大分大学福祉健康科学部助教)
    テーマ:「児童虐待への対応と子どもの声~アドボカシー制度とは~」

過去に実施した「メディアと法」研究会

開催日 テーマ ゲスト
17 1 2019/4/16 天皇制に関わる諸問題 横田 耕一 九州大学名誉教授
16 12 2019/3/5 日本版司法取引を問う 白取 祐司 神奈川大学大学院法務研究科教授
11 2019/2/20 居丈高な加害者―
徴用工訴訟問題を国際人権法から見る
寺中 誠 東京経済大学教員
10 2019/1/28 マスコミ判例評釈 曽我部 真裕 京都大学大学院法学研究科教授
9 2018/12/21 表現の自由とヘイトスピーチ規制 金 尚均 龍谷大学法学部教授
8 2018/11/20 問題噴出のアマチュアスポーツ-スポーツにおける倫理 近藤 良享 中京大学スポーツ科学部教授
7 2018/10/29 ファクトチェックの現状と課題 楊井 人文 弁護士、FIJ事務局長
6 2018/10/1 違法に収集された個人情報の抹消の権利 清水 勉 弁護士
5
合同
2018/7/20 全国被害者の会が解散~残された課題は?
(関西地区マスコミ倫理懇談会と「メディアと法」研究会合同会議)
諸澤 英道(常磐大学元学長)、寺田 真治(あすの会会員)、土師 守(あすの会会員)、林 良平(あすの会会員)、泉 房穂(明石市長、元衆院議員)、永谷 和雄(サンテレビ報道部長)
4 2018/7/10~11 復興の現状と課題、メディアの役割 早川 正也 福島民報社 浜通り創生局長
桑田 広久  福島民友新聞社 前ふたば支局長
岳野 高弘 福島中央テレビいわき支社記者兼ディレクター
農業・渡辺 伸 福島県猟友会平支部メンバー
3 2018/6/26 全国協議会結成60周年記念シンポジウム    
2 2018/6/4 海賊版サイトへの法的対策をめぐる現状と課題 宍戸 常寿 東京大学大学院法学政治学研究科教授
1 2018/4/17 天皇制と報道-多様な姿、多様に報じて 山下 晋司 元宮内庁職員、皇室ジャーナリスト
15 10 2018/3/14 マスコミ判例評釈 2017年3月~2018年1月までの18件を予定 宍戸 常寿 東京大学大学院教授
9 2018/2/27 メディアがもっと報ずるべき『日米地位協定』 前泊 博盛 沖縄国際大学 経済学部教授
8 2018/1/25 販売・流通規制と表現の自由 山口 貴士 弁護士・リンク総合法律事務所
7 2017/12/11 マスコミ判例評釈 曽我部 真裕 京都大学大学院法学研究科教授
6 2017/11/28 国民投票におけるメディアの役割と規制 福井 康佐 桐蔭法科大学院教授
5 2017/9/21 21世紀の民主主義とメディア 宇野 重規 東京大学社会学研究所教授
合同 2017/7/21 関西地区マスコミ倫理懇談会と「メディアと法」研究会合同会議開催    
3 2017/7/5 マスコミ判例評釈 宍戸 常寿 東京大学教授
2 2017/5/31 情報は誰のものか-情報公開(保存)の現状と課題」(仮題) 三宅 弘 弁護士
1 2017/4/27 メディアと法-表現の自由はどう変わるのか 鈴木 秀美 慶應大学メディア・コミュニケーション研究所教授
14 16 2017/3/24 ネット上の違法・有害・権利侵害情報の苦情・相談窓口の現状と対応 ヤフー株式会社  
13 2016/11/28 マスコミ判例評釈 曽我部 真裕 京都大学教授
12 2016/11/11 刑訴法改正と今後の課題 小池 振一郎 弁護士
11 2016/9/20 改正個人情報保護法政令案および施行規則案について 山本 和徳 個人情報保護委員会参事官
10
合同
2016/7/26 ヘイトスピーチを考える
(関西地区マスコミ倫理懇談会との合同会議)
   
9 2016/6/13 ヘイトスピーチ規制法案と表現の自由 小谷 順子 静岡大学教授
8 2016/6/1 マスコミ判例評釈※2014年10月から2015年6月まで 宍戸 常寿 東京大学教授
7 2016/5/19 震災から5年―被災地の歩みとこれから 天野 和彦 福島大学うつくしまふくしま未来支援センター客員准教授
6 2016/4/21 公益通報者保護制度改正をめぐる議論と報道への影響 井手 裕彦 読売新聞大阪本社編集委員
5 2016/3/22 TPP協定に伴う著作権法改正がメディアに与える影響 池村 聡 弁護士 森・濱田松本法律事務所
4 2016/1/22 日本の放送規制の歴史と現状 村上 聖一 NHK放送文化研究所 メディア研究部副部長
3 2015/12/22 わいせつ表現と自主規制 石上 阿希 国際日本文化研究センター特任助教
2 2015/11/30 マスコミ判例評釈 曽我部 真裕 京都大学大学院法学研究科教授
1 2015/10/13 犯罪者の表現活動-サムの息子法をめぐる論議と日本での導入可能性 岩本 一郎 北星学園大学経済学部教授
13 9
合同
2015/7/24 JR福知山線事故と報道の10年 津久井 進 弁護士
8 2015/6/4~5 福島の復興とメディア報道について 開沼 博 福島大学特任研究員・社会学者
7 2015/5/21 ヤフーの検索結果削除基準と表現の自由およびプライバシーとの関係について 別所 直哉 ヤフー株式会社執行役員社長室長
6 2015/4/28 いまのメディアに思うこと 濱田 純一 BPO理事長、東京大学前総長
5
合同
2015/3/30 個人情報保護法改正案について(東京地区との合同会議) 瓜生 和久 内閣官房情報通信技術総合戦略室・内閣参事官
4 2015/3/5 風刺画と表現の自由の限界:フランスの事例から 曽我部 真裕 京都大学大学院法学研究科教授
3 2014/12/3 いま、特定秘密保護法の問題点を考える意味 清水 勉 弁護士、情報保全諮問会議委員
2 2014/11/25 マスコミ判例評釈(2013年9月~12月) 宍戸 常寿 東京大学大学院法学政治学研究科教授
1 2014/10/17 新時代の刑事司法改革と今後の法改正について 林 眞琴 法務省刑事局長
12 合同 2014/7/18 大阪の挑戦!大阪都構想の光と影
(関西地区マスコミ倫理懇談会との合同会議)
   
大都市制度としての大阪都構想 砂原 庸介 大阪大学大学院法学研究科准教授
大阪都構想―現場からの報告と主張 河崎 大樹 大阪市議会議員・大阪維新の会副幹事長
柳本 顕 大阪市議会議員・自由民主党幹事長
吉富 有治 フリージャーナリスト
砂原 庸介 大阪大学大学院法学研究科准教授
12 2014/7/9 マスコミ判例評釈(2013年5月~8月) 曽我部 真裕 京都大学大学院法学研究科教授
11 2014/6/3 パーソナルデータの利活用に関する制度見直しと表現の自由 岡村 久道 弁護士・国立情報学研究所客員教授
10 2014/5/22 福島第一原発事故が引き起こしたこと 北村 俊郎 日本原子力発電株式会社元理事・社長室長
漁業者から見た原発問題―復興の現状と課題 野﨑 哲 福島県漁業組合連合会代表理事・会長
東日本大震災から3年―福島の現状とメディアの役割 早川 正也 福島民報社 編集局次長兼社会部長
小野 広司 福島民友新聞社 編集局次長
鈴木 延弘 福島テレビ 報道局報道部長
佐藤 崇 福島中央テレビ 取締役報道制作局長
2014/5/23 復興状況について 清水 敏男 いわき市長
合同 2014/4/21 施行5年を迎えた裁判員制度の現状と課題
(東京地区との合同会議)
椎橋 隆幸 中央大学法科大学院教授、「裁判員裁判の運用等に関する有識者懇談会」座長
8 2014/3/18 マスコミ判例評釈(2013年1月~4月) 宍戸 常寿 東京大学大学院法学政治学研究科教授
7 2014/3/3 日本におけるプライバシーコミッショナー制の行方 堀部 政男 一橋大学名誉教授、特定個人情報保護委員会委員長
6 2014/1/27 新時代の刑事司法改革論の動向
―取り調べの可視化と通信・会話傍受を中心として
後藤 昭 一橋大学大学院法学研究科教授
合同 2013/12/18 イギリスにおける国家機密と報道の自由について
(東京地区との合同会議)
小林 恭子 在英ジャーナリスト
4 2013/11/27 マスコミ判例評釈(2012年8月~12月) 曽我部 真裕 京都大学大学院法学研究科教授
合同 2013/11/13 特定秘密保護法案と取材・報道の自由について
(東京地区との合同会議)
町村 信孝 自民党「インテリジェンス・秘密保全等検討プロジェクトチーム」座長、衆議院議員
合同 2013/9/20 特定秘密保護法案と報道の自由への影響(東京地区との合同会議) 能化 正樹 内閣情報調査室次長・内閣審議官
1 2013/9/12 ネットワーク犯罪と取材活動について―共同通信・朝日新聞「不正アクセス事件」を素材に 園田 寿 甲南大学法科大学院教授
11 合同 2013/7/25 ネット言論とマスメディア―橋下現象とは何だったのか
(関西地区マスコミ倫理懇談会との合同会議)
開沼 博 社会学者
津川 章久 朝日新聞大阪本社 社会部次長
奥田 信幸 毎日放送 報道局ニュースセンターマネージャー 大阪市政記者クラブキャップ
10 2013/6/6 川内村の現状と課題 遠藤 雄幸 川内村村長
ふくしまの農業復興状況 斎藤 隆 新ふくしま農業共同組合常務理事(営農経済担当)
福島で報道する難しさ―福島の現状を踏まえて 鈴木 久 福島民報社 取締役論説委員長
菅野 篤 福島民友新聞社 編集局次長
鈴木 延弘 福島テレビ 報道部長
松川 修三 福島中央テレビ 報道部長
2013/6/7 復興状況 立谷 秀清 相馬市市長
南相馬市の現状と課題 阿部 貞康 南相馬市復興企画部部長
合同 2013/5/28 社会保障・税番号制度でなにが変わる
(東京地区との合同会議)
小向 太郎 情報通信総合研究所法制度研究グループ部長・主席研究員、早稲田大学客員准教授
8 2013/4/24 マスコミ判例評釈(2012年2月~7月) 曽我部 真裕 京都大学大学院法学研究科教授
7 2013/3/7 時代に即した新たな刑事司法制度の基本構想について 小野 正典 弁護士・法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」委員
合同 2013/2/25 自民党憲法改正草案について(東京地区との合同会議) 中谷 元 衆議院議員・自民党憲法改正推進本部事務局長
合同 2013/1/15 公人・公的人物の私的事項の報道と名誉棄損・プライバシー侵害等(東京地区との合同会議) 秋山 幹男 弁護士
4 2012/12/7 マスコミ判例評釈(2011年11月~2012年1月) 曽我部 真裕 京都大学大学院法学研究科准教授
3 2012/11/26 袴田事件の現状と今後の焦点 西嶋 勝彦 弁護士
2 2012/10/1 『忘れられる権利』と表現の自由―プライバシー・個人情報保護の世界地図と日本 堀部 政男 一橋大学名誉教授
1 2012/9/18 99%有罪神話の崩壊と報道の在り方 原田 國男 弁護士

マスコミ倫理懇談会全国協議会結成60周年記念シンポジウム
「変革のときにメディアの信頼を問う」

日程

  • 6月26日(火)午後13時~15時40分(開場:12:30)
  • 参加費:無料
  • プログラム:13:00~13:50
    ・基調講演「『ブラックボックス』に目を~情報新時代を生き抜くために」
    吉田 慎一氏(テレビ朝日ホールディングス代表取締役社長、元朝日新聞社編集担当)
  • パネルディスカッション:14:00~15:40
    「改めて、メディアへの信頼を獲得するために」
    討論の柱
    「実名報道と個人情報、プライバシー」「ネット時代におけるメディアの役割」
    「ジャーナリストが直面する問題」
    <コーディネーター>
    宍戸 常寿氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
    <パネリスト>
    川端 章子氏(岩手日報社釜石支局長・前報道部次長)
    鯨岡 秀紀氏(毎日新聞東京本社統合デジタル取材センター長)
    田近 正樹氏(小学館編集総務局シニアマネジャー)
    平尾 武史氏(読売新聞東京本社社会部長)
    天野 康代氏(弁護士、港北総合法律事務所)

「ブラックボックス」に目をに目を~情報新時代を生き抜くために
テレビ朝日ホールディングス代表取締役社長 吉田 慎一氏

1.はじめに

本日は、「マスコミ倫理懇談会全国協議会」の結成60周年記念シンポジウムにお招きいただき、ありがとうございます。
まずは、マス倫懇が60周年という大きな節目を迎えられたことに、心からお祝いを申し上げます。この間、皆様や諸先輩の方々は、報道の質的向上にすばらしい努力をされ、日本の民主社会の基盤の維持に大きく貢献してきました。これまでの報道に、深く敬意を表したいと思います。そして、70年、80年に向けて頑張っていただきたいと思います。
わたくしは現在、報道の現場にはおりませんが、事務局の方から、新聞、テレビという二つの世界に身を置いた経験を踏まえて、一人のメディアウォッチャー、1ジャーナリストとして、「メディアの信頼」について自由に話してほしいと言われました。今日は、そういう個人としての立場でお話をさせていただきます。
わたくしが報道に直接、間接にかかわってきた期間は、45年ほどです。この期間は、新聞・テレビなど既成のマスメディアが、あるいは「報道の信頼が」と言っていいかもしれませんが、頂点に近い高みから次第に減衰し、相対化されていく時期だったように思います。
後半はネットが台頭し、特にここ10年ほどはSNS、広く言えばソーシャルメディアが登場しました。そうした新しい情報社会とどう付き合うべきか、マスメディア全体で、また個人的にも悩み、危機感を抱いてきました。
いささか思い出話も交じりますが、そんな問題意識からお話しし、シンポジウムの「前座」とさせていただければと思います。

2.「あっち側の世界」

さて、大雑把に表現すれば、ネットの登場までは、政治や社会に関する情報、公共情報空間は、我々マスメディアのいわば「独壇場」でした。
ですが、インターネットが普及した結果、情報の発信者の数も、世の中の情報の総量も爆発的に増えました。さらに、ソーシャルメディア、そして、携帯というモバイルも出現し、情報状況が大きく変わりました。
そのあとは、我々マスメディアの世界の外側に、別の新しい「情報空間」が広がっていったという印象をぬぐえません。
この「新しい情報空間」こそが、ここ10年ほど、我々の悩みの種であり、また、チャレンジの場だったし、今もそうあり続けていると思います。 このネット上の情報空間に対し、マスメディアは二つの方向で取り組んできました。
一つは、その新しい世界に向けて自分たちのコンテンツを発信すること。いわゆるデジタル発信です。マスメディアとしてビジネスモデルを維持するためにもそれは必須の対応でした。
もう一つは、その新しい世界に入っていき、そこで情報やニュースを探し出すことです。端的に言えば、その新しい情報空間を取材し、報道することでした。
二つの方向のうち、第一の、ネットへの発信という試みは、いろいろ試行錯誤はあったものの、一定の成果は出してきたと思います。ですが、二番目の対応策、つまり新世界を把握する、そこを報道の対象とすることは、一筋縄ではいかなかったように思います。
手をこまねいているうちに、自分たちでは全貌をつかめない「あっち側の世界」が、どんどん出来てしまった。それによって我々マスメディア側が、ますます相対化されていくという事実を、折に触れて突き付けられたように思います。

その典型例は、東日本大震災の際のソーシャルメディアの活躍でした。マスメディアには、発信のタイミング、時間や記事の分量など様々な制約がありますが、ソーシャルは、それなしに個人が自由につながります。そのパワーを日本社会が実感した節目が3.11でした。
もちろん、我々も、以前から情報の収集やチェックにソーシャルメディアを使っていましたが、この時、慌ててそれを本格活用する側に回った記憶があります。
さらに、この時は、我々が原発事故の実情に迫れぬまま、歯切れの悪い報道が続きました。そういう3.11以降のメディアのふがいなさは、「あっち側の世界」を勢いづけたかもしれないという反省でもあります。
かつてのマスメディアの強さは、毎日毎日、世の中を縮図として提示するということでした。それが我々の誇りでもありました。より正確には、視聴者・読者の皆さんが「報道によって世の中のことが大体わかる」と思ってくれていたことが、メディアパワーの基盤、信頼の基盤でした。
しかし「あっち側の世界」が膨らんでいくと、メディアに載らない、メディアが報じない世界が実はあるのだという思いが広がっていきます。
いわば、マスメディアが「全体性」を失って、世の中の一部分の反映に過ぎなくなると思われているということです。
それは「メディアの信頼」に直結します。そういう「危機感」は我々には非常に強くありました。
ですから、我々も「あっち側の世界」に入り込もうと努力をしました。
例えば当時わたくしがいた朝日新聞では、記者個人や編集局の部やグループにTwitterを解禁したり、動画報道に乗り出したりしました。
そうした試みをリードする「ソーシャルメディアエディター」というポストも社内に作り、いわば「編集局のデジタル化」に注力してきました。
2013年の春、朝日新聞が合弁でネットメディアの「ハフィントンポスト・ジャパン」をスタートさせたのも、その一環でした。
しかし、この壁はなかなか厚かったというのが、偽らざる印象でした。
今でも忘れられないのは、翌2014年の2月、首都圏を豪雪が襲った時です。我々は、「首都圏に大雪100年ぶり、交通途絶」といった伝統的な見出しで翌日報じました。
実はこの時、山梨県などでは大雪に閉じ込められた人々が前夜からネットでSOSを出していました。「助けてくれ」「自衛隊を出してくれ」などです。
記者わずか数人だった「ハフィントンポスト・ジャパン」はちゃんとこの事態を把握し、ネットで報じていました。ところが、ネットは大騒ぎになっているのに新聞にはそんなことはどこにも書いていませんでした。
その数日後には、これは全く別の件ですが、都内のあちこちの図書館で「アンネの日記」のページが破られていると、またまたハフィントンポストが報じて、大きな社会的関心を集めました。これもソーシャルで行き交っていた情報をもとに、ハフィントンポストが独自取材した結果でした。
我々にも、当時、ソーシャルメディアを駆使する記者はたくさんいました。当然、Twitterを見ていた記者もいたでしょう。だが、組織全体として対応はできませんでした。いわば、ソーシャルはまだまだ「あっち側の世界」として、距離があったということです。
あの時は、この数年間の自分たちのデジタル化への努力は何だったのかと、頭をガツンガツンと殴られたような気持ちになったことを覚えています。
ネットに対して我々が感じた距離感は、何だったのでしょうか。思うに、既存メディアにはもともと、ネットに対して警戒感がありました。真偽の定かでない情報が勝手に流通するという不信感が強かったのです。
また当時は、「あっち側の世界」に世話にはならない、こっち側だけで十分というちょっとした自負があったのかもしれません。
ソーシャルの世界が広がるスピードに、我々の知見と手法がついていけないという実態もあったと思います。
報道の役割の一つは、世の中の「ブラックボックス」とされていることに挑むことです。ブラックボックスの内部を、「実はこうでしたよ」と、視聴者・読者に説明することです。
個人的には、ソーシャルの世界を「あっち側の世界」にしてはいけないという思い、つまり「ブラックボックス」にしてはいけないという思いを強くしました。そこで何が起きているか、報道として切り込まなければならない、挑まなければならないという思いで、その後も報道界を見つめてきました。

3.取材現場になったソーシャルメディア

さて、その経験から見ると、昨今のメディアの状況は、隔世の感があります。

先週の大阪北部地震の例でもそうですが、いまや報道ではソーシャルの世界それ自体が、完全に取材現場の一つです。
ネットでの炎上がニュースになり、ソーシャルでトレンドを探り、ネットで話題を集めるホットな動画も連日、放送されます。トランプ大統領に限らず、国内の有名人のコメントもネットから拾われます。
また、最近の日大アメリカンフットボール事件はその典型ですが、ソーシャルメディアがそもそもニュースを作り、世論を盛り上げるといったケースは、枚挙にいとまがありません。
マスメディアの側でも、そのソーシャルの世界をどう取材するか、いろいろの試みが続いています。
視聴者・読者からソーシャル経由で情報や画像を提供してもらう、いわゆるCGC(コンシューマー・ジェネレイテッド・コンテンツ)の手法も各社で確立しました。例えば、テレビ朝日では『みんながカメラマン』と呼ばれる、視聴者に投稿してもらう仕組みが、地震など自然災害時はもちろん、その他様々な動画が投稿されています。
数年前は、ソーシャルの世界でホットな話題、画像は、人間の手でネットの検索機能を使って探していました。しかし、最近では、AIを活用して、自動的に事件事故にかかわる動画が探知できます。
その技術を使って事件事故の発生情報を報道機関に提供する「動画検索会社」も次々に生まれています。
わたくしも昨年、そうした都内の会社を見学させてもらいました。小さなマンションで十人ほどのオペレーターがいるだけですが、事件や事故の動画がサムネイルとして次々とネットに自動的に表示され、簡単な説明文も自動生成されて付いてきます。世界に先駆けて欧州のテロ発生を日本で探知した実績もあるそうです。利用者はテレビ局など報道機関が主ですが、最近では、警視庁など公的機関も利用し始めたと聞いています。
ネットやソーシャルの暗部、その問題点の報道も、増えてきています。記憶に残るのは、一昨年、バズフィードの報道で、健康キュレーションサイトWELQが不適切な情報を大量に掲載していたことがわかり、閉鎖に追い込まれました。最近でもステルスマーケティングやTwitterフォロワーの売買問題など、ネットの悪用に触れる報道が、次第に増えてきています。
ソーシャルメディアといえば「フェイクニュース」の問題があります。古くは2年前、熊本地震の際、動物園からライオンが逃げたというデマが画像とともにつぶやかれ、拡散した事件がありましたし、最近は大阪北部地震で、シマウマが逃げたとするデマが拡散しました。
フェイクニュースにはクリックの増加を狙うもの、愉快犯的なものも多いようです。最近の架空の「国際信州学院大学」騒ぎはその一つです。手前味噌ですが、テレビ朝日でもネットで拡散された情報の真偽を検証する「ファクトリサーチTV」という深夜の情報番組を組んでいます。
後で詳しく触れますが、こうした流れは、一昨年、トランプ氏が当選した米国大統領選などでフェイクニュースや選挙介入が話題になったことが影響しています。この春には、「ケンブリッジ・アナリティカ」というビッグデータ会社によるFacebookのデータ悪用事件が暴かれました。国内でもソーシャルメディアに関する報道が一挙に増えています。
以上のように、ソーシャルメディアが非常に注目されています。では、日本では、ネットやソーシャルメディアの情報空間は「あっち側の世界」ではなくなった、いわゆる「ブラックボックス」ではなくなったのでしょうか。
わたくしには、そうは思えません。
マスメディアが、話題になりそうなニュースをソーシャルメディアから掘り出して使ってはいるものの、誤解を恐れずにいうと、それは、ソーシャルを「利用している」に過ぎません。まだまだ、その世界の実態への切り込みが足りない、と答えたい気持ちです。
そのわけについて、これから説明したいと思います。

4.広がる「病理」の解明

この1、2年、米国などで何が起きているのかを中心に、報道をもとに、簡単に振り返ることから始めます。
2年前の米国大統領選では、ソーシャルメディアで、政治的なフェイクニュースが飛び交いました。また、ロシアによる反クリントン、親トランプの情報操作があったことが次第に明らかになりました。
選挙の後は、ロシアがかかわる情報操作に対して捜査が進んでいます。Facebook でロシア関係サイトから約3千ものプロパガンダが流され、1億5千万人の米国民がそれにさらされたと報じられています。
米国はすでに、オバマ大統領の時からソーシャルメディア時代で、選挙でも当然使われています。しかし、前回大統領選でのトランプ大統領の予想外の当選も、また、それに関連してネットの裏で起きていた、ひそかなプロパガンダも、米国メディアは捉え切れていませんでした。
その反省は、メディアには強烈だったようです。
むろん、ソーシャルでの政治的情報の流通は、そもそも「言論の自由」という範疇に入ります。しかし、民主社会の基本は「事実」と「公平(フェアネス)」でもあります。とくに、フェイクニュース、あるいはソーシャルを悪用しての情報操作については、民主政治の基盤を崩壊させるという危機感が米国には相当強かったようです。
その結果、情報操作があったソーシャルメディアの実態解明に向けて、様々な取り組みが強化されたように思います。マスメディアやネットメディアはもちろん、アカデミズムや IT関係者も加わって、ソーシャルの中で何が起こっているのかをここ1、2年、必死に分析しています。
EU 諸国でも、同じような動きが起きています。一昨年の英国の EU 離脱の是非を問う国民投票でも、また昨年のフランス大統領選挙などでも、ソーシャルを舞台にした、様々な情報操作が、明らかになってきたからです。
とはいっても、ソーシャルメディアでの情報流通は、もともと、特定グループの内部で起こるものも多いため、外からは全体像が必ずしも明らかではありません。いわゆる「ブラックボックス」です。
ですが、米国や欧州のように、ソーシャルメディアが、とくに、政治コミュニケーション、政治宣伝の世界に急激に浸透した結果、局面が大きく変わりました。その悪用や病理が一気に焦点となり、ブラックボックスの解明に動いているということだと思います。
その最大のインパクトを与えた出来事が、先に触れた「ケンブリッジ・アナリティカ」のケースです。この会社は、研究目的で集めた利用者の個人データ8700万人分を悪用していました。米国大統領選でトランプ氏を応援する政治宣伝などにも使っていたとされます。この4月には Facebook のザッカーバーグCEOが米議会に召喚される事態にもなりました。Facebook などソーシャルメディアの規制論議にも改めて火をつけているのはご存じのとおりです。
このケースのほかにも、何億というユーザーデータが研究者の手に握られて行方がわからないなど、複数の問題案件が報じられています。巨大な「ブラックボックス」だったソーシャルメディアに対して、いろんな角度から構造の分析が進んでいる感があります。
その一つは、ソーシャルメディアという仕組みのいい加減な構造です。 例えば、Twitter に関しては、今年初め、350万人のニセ・アカウントを作り、それを 販売している業者の実態が暴かれました。
まず、あまり使われない他人のアカウントを乗っ取り、その人になりすます。実体のないアカウントを集めたうえ、ロボット技術で操作して、フォロワーを欲しがっている顧客、ブロガーに、例えば、フォロアー一人1セント程度で大量に売りつけます。そしてロボットを使って何万回といった大量のリツイートを保証し、見返りに料金をとるという商売が指摘されています。
Twitter では、ざっと15%、4800万人の架空フォロワーがいると、報道されています。別の報道によれば、トランプ大統領には4千数百万人もの Twitter フォロワーがいますが、そのうち38%、1800万人が虚構、架空だともいわれています。
こうした異様な事態は、実は、実名での登録が原則になっている Facebook に関しても起きているとされます。
「いいね」のクリックの数が販売され、世論誘導などに使われています。また、Facebookには何万人というメンバーを抱える、閉じられた、非公開のグループというものがあります が、その中にメンバーとして入り込み、情報拡散や宣伝を行う「プロパガンダ業者」の存在も報道されています。

こうした構造が明らかになってきた結果、ソーシャルの中の世論操作的な「隠密行動」が、ほぼリアルタイムで暴かれることもありました。
例えば、この2月に米国フロリダ州の高校で17人が射殺される事件が起きたとき、生き残った被害者がマスコミで証言しました。その直後から「カメラでしゃべっている被害者は、実は俳優で、銃を規制するための世論を作り上げようとしている演技だ」といった情報がソーシャルで拡散されました。ですが、これがデマで、実は意図的な世論分断工作であることが、ほどなく暴かれました。
また、同じころ、ソーシャルメディアを使って、あの手この手で波状攻撃のように、ある資料の公開を米国議会に求める騒ぎがありました。それも、世論づくりを狙った、組織的な情報操作であることがメディアによって明るみに出されました。
こうしてソーシャルメディアの負の側面に批判が高まったのに対して、Facebook などプラットフォーム自身も、最近は対策を取り始めました。
透明度を高めたり、アカウントの対する監視人員を増員したり、架空アカウントを削除と発表しています。
もっとも、ソーシャルメディアは、一日あたり億単位のニュースが行き交います。少々、 監視を強化したところで、その実効性については疑問だという見方も依然、多いようです。
フェイクニュースの問題は、深刻化する一方ですが、どうそれをチェックするべきか、利 用者の側でも、真剣な模索が始まっています。
報道機関がそれぞれ独自に対応を強化しているほか、報道機関と NPO、あるいは学術組織 が共同して、この問題に対処しようという取り組みが、保守系もリベラル系も含めて世界各地で始まっています。
いま世界では100を超える組織が、組織的なチェックで協働しており、そのネットワークや国際会議も一昨年あたりからスタートしています。まさにフェイクニュースは「喫緊の社会問題」という様相を帯びてきていると言っていいと思います。

5.「ソーシャル」にもっと切り込め

さて、では、日本はどうなっているのか。いわゆる情報操作のような話になると、「日本 ではまだソーシャルメディアがそこまで普及していない」という反応が、かつては主流でした。
確かに米国では、Facebook を中心に、6、70%の国民がソーシャルメディアでニュースを読むといわれます。選挙もソーシャルメディアが大きな戦場です。
日本でも昨年度、ニュースをネットで見る人が初めて新聞で見る人の数を超えました。また、ネットユーザーの70%を超える人達がソーシャルメディアを使っているというデータもあります。Line が7200万人、Twitter が4500万人、Facebook は海外と比べて例外的に普及度が低いと言われますが、それでも2800万人といった形です。特に10代20代でのソーシャルの普及率は非常に高く、70~80%と言われています。
当然、欧米で問題になっているような「政治の世界」でも、ソーシャルメディアの浸透は急速です。政治をする側も、自民党を筆頭に、ソーシャルを意識した広報や宣伝、そしてソ ーシャル分析が次第に組織化されてきています。
数万単位のフォロワーを持つ政治運動型のサイトもいろいろと増えて、活発化していると言われます。
「ネット世論」という言葉も生まれました。我々マスメディアもネットで世論動向を探ることも始まっています。
こうしてソーシャルが急速に普及する中で、日本にはまだ、フェイクニュースが世の中をゆがめる事態、あるいは、悪意の世論誘導があったといった欧米のような事態はないのでしょうか。
それは、わたくしにとってずっと大きな関心事でした。
実は、昨年の総選挙時には、「業者を通じて情報の組織的な書き込みが行われている」という報道が出たこともあります。とはいえ、それが何だったのか、解明はまだのようです。いま、ネット専門家の多くは、国内でのソーシャルでの情報操作については「あるかもしれないが、実態はわからない」という半信半疑の状態のようです。
ですから、この2月、一部のネット報道で小さく報じられたニュースは、いささかショックでした。
それは、前々回の総選挙、つまり14年12月の総選挙の際に飛び交った政治関係のツイート54万件を、ドイツのエアランゲン・ニュルンベルク大学の研究者が分析したニュースです。
それによれば、投票日前後の数週間のツイート54万件のうち8割にあたる43万件がリツイートか同じメッセージのコピーだったそうです。また、自動で情報を拡散する「ボット」と呼ばれるプログラムが、この情報拡散に関わっていたといいます。簡単にいうと、同じようなメッセージが量産されて8割を占めていたということです。ネットだけ見ている人はあたかも世の中の人が全てそう思っているかのように見える偽りの世界が作られていたということでしょうか。
この研究は、ソーシャルメディア内のこうした情報拡散が、「安倍政権のナショナリスト的なアジェンダの浸透に役立ったのではないか」と指摘しています。一方で、この「ボット」による拡散をやっていた主体はわからないとも述べています。
最近になってこの研究は、いくつかの新聞記事などでも取り上げられています。わたくしにとって、ショックだったのは、ソーシャルの世界でボットを動員した政治宣伝のような事態が日本でも起きていた可能性が示されたことです。しかもそれは、4年前の総選挙での話です。この事実が明らかになったのは昨年の12月ですから、なんと、その次の総選挙が終わった後です。
それでは、いったい、現状はどうなっているのか。誰もがそう思うのは当然です。
この分析研究が学術的にどう評価できるのか、判断能力はわたくしにはありません。ただ、はっきりと感じたことは、ソーシャルメディアの取材や分析の手段はまだまだいろいろありそうなことです。
そして、日本でもソーシャルの世界で何が起きているのか、とりわけ政治のプロセスで起きていることに、我々マスメディアがもう少し目を向けていかねばならないのではないかということです。
繰り返しになりますが、ソーシャルの世界はもともとブラックボックス性を帯びています。そして、外から見えない閉じられた情報空間を容易に生み出せます。
一方で民主政治は、「事実」に基づく判断、そして、開かれた競争が原則です。
誰かがソーシャルの中で起きていることを明らかにしなければ、政策決定や選挙の実態は埋もれたままになります。
とすれば、それを明らかにするのは、我々マスメディアの仕事だと思います。
我々は、「事実」を追い、オープンに発信するのが使命です。民主主義社会のなかに、事実に基づく政治情報を流通させるのは、我々の責任でもあります。
もっと、ソーシャルメディアに切り込み、そこで起きていることを解明することで、ソーシャルメディアの中にも、我々マスメディアの存在感をしっかり確保するべきでしょう。
誰かの実態解明の努力がなければ、Facebook などいわゆるプラットフォーム側が責任を感じて、こうした問題に真正面から取り組むことも期待できないとも考えます。
昨今、ソーシャルの閉じられた情報空間の中で、自分たちに心地よい情報だけで満足する、いわゆる「フィルターバブル」が問題になっています。
我々既成マスメディアは、「あっち側の世界」に深く踏み込まず、都合のいいところだけ、つまんで、適当に付き合うこともできます。つまり、我々自身が「こっち側の世界」で心地よく暮らすということです。
ですが、そうなってしまっては、我々が、皮肉にも旧来型情報流通という「フィルターバブル」の世界に閉じこもるということではないでしょうか。
そうではなくて、「こっち側の世界」と「あっち側の世界」を一体化するべく、政治情報が流通している世界全体を、有権者の前に提示する。目下必要なのは、これに尽きるような 気がします。

6.課題としての「技術」

ではそのためには、何が必要なのか。自らの反省を込めて、また、天に唾するところもありますが、我々に求められている課題について触れたいと思います。
一番大事なことは、ソーシャルメディア、IT 技術に対する基礎知識、平たく言えばデジタルリテラシーであることは、誰も異存はないでしょう。
わたくしも含めて、いわゆる文系出身者が多いマスメディア関係者には、インターネットは苦手な人が多いと思います。
日本語のネットでも、ソーシャルのフォロワーや「いいね」は公然と販売されています。インターネットで「Twitter」プラス「フォロワーを買う」と検索すれば、「激安販売」といった広告を含めて、ずらりとサイトが出てきます。ですが、こうしてフォロワーが販売されているということすら知らないジャーナリストも、まだまだ多いといわれます。
だが、ネットやソーシャルがここまで日常的な存在になった今、その基礎知識は「読み書きそろばん」の一部です。「ネットはネットの分かる人に任せておく」ということはもはやできません。
欧米では、コンピュータプログラミングは、ジャーナリストになる必須科目になっているそうです。ジャーナリスト向けのネット関係の研修も盛んです。わたくし自身、2年半ほど前に、ニューヨークタイムズの社長から「これからプログラミングを自分自身も学ぶつもりだ」という話を聞いて驚き、大いに刺激されたことがあります。
ソーシャルの世界を本格的に報道するには、そういうデジタルリテラシーといった「常識的」なレベルを超えて、もっと高度な IT の知識、AI の知識も欠かせないと感じます。
今、本物のオバマ大統領が話しているのと区別できないほどの動画が簡単に作れる時代です。また、ソーシャルメディアに切り込むには、高度な分析力や専門的なプログラムが必要だといいます。調査報道において「デジタル・フォレンジック」と呼ばれる高度な情報システム分析も使われ始めていると聞きます。
欧米では、IT 技術者は、もはやジャーナリストの一部になりつつあります。例えば、ボットを専門にする人間が必要だという論議も起きています。

7.「協業」というキーワード

このことは、もう一つの大切な発想転換の必要性につながっていくように思います。それは、「協業」とでも呼ぶべき方向です。
先に触れた、マスメディアと IT 技術者との協業は、単に一つの例にすぎません。今の社会は複雑化していく一方です。その社会に切り込むためには、報道側が外部のさまざまな専門家と力を合わせるのはもちろん、他の報道機関と役割分担したり、協力し合ったりする、そういう、旧来の枠組みを超えた連携が必要だと思います。
社会が複雑化した背景には、ネットによる「情報化」があります。情報の世界は、かつてなく多様で複雑になっています。そうした情報社会で我々マスメディアが、いわば「羅針盤」を果たすとすれば、これまで以上の専門性と同時に、それを分かり易く説明する統合能力が必要でしょう。
既存メディアはこれまで、「専門的なジャーナリスト」を組織内で養成して、この問題に対応してきました。そのやり方で、現下の世界の複雑化のスピードや多様性についていけるのでしょうか。
こうした急激な変化に対応するためには、企業という枠を超えて他のメディアとの連携、さらに「ジャーナリスティックな専門家」たちと、広く協力し合うことが、一つの明確な方向ではないかと思います。
すでに、多数の報道機関が協業した「ウィキリークス」や「パナマ文書」といった報道の事例もあります。今日お話ししたファクトチェックの国際連携も、また動画検索会社とテレビ局との提携も、専門家たちの協業の好例でしょう。
振り返れば、新聞では10年ほど前からオピニオン面などで専門家の言説が盛んに取り上げられるようになりました。テレビでは、多様なコメンテーターが多角的に情報を提供する場面が、格段に増えています。
これも「専門ジャーナリスト」から「ジャーナリスティックな専門家」の活用への流れに見えます。
さて、この協業への流れを考えるとき、心配なことが一つあります。それは、日本のマスメディアの持つ「自前主義」です。
日本では伝統的に、技術でもスタッフでも、とにかく何もかも自分の中に抱え込みたがります。マスメディアの成功度合いが高く自負が強いだけでなく、大規模なメディアが多いため、財政的にゆとりもあったことがおそらく関係しているでしょう。
その「自前主義」の一つの弊害として、自分にこだわる、他人の仕事に冷たいというDNAもあるように思います。
最近は少し例外もありますが、伝統的には、他社の特ダネを追いかけるときは、「何々が明らかになった」と報じます。「何々新聞が明らかにした」とは書きません。だれの特報で明らかになったのか、その主語をつけずに表現します。
むろん他社が報道したことでも、それが事実であるかどうか、それは自社で確認をして追いかけるのは当然の大前提です。
しかし、追いかける際には、もし他社が先に報じていれば、どこの特ダネだったのかも、社会的に必要な情報の一つです。ですが、他人の仕事ぶりには極力触れないのが、私に言わせれば悪しき伝統だったのです。
話は横道にそれますが、他社の特ダネ活動には触れない一方で、報道機関の不祥事はすべてのメディアで一斉に報道されます。いいことは一部にしか伝わらないが、悪いことは全部で報じます。これでは日本の報道に関してはネガティブな話しか広がりません。
10年ほど前に、読売、毎日と朝日の編集トップが内々で、これではまずい、お互い、特ダネはどこの新聞が頑張ったか知ってもらえるように、互いに報道するよう努力しようと、話したことがありました。私も当事者でした。各社に持ち帰りましたが、現場では「この話は、実はうちも取材中だ」「他社の今回の報道は実は正確でない」などと反発が強く、結局、この話は立ち消えになりました。当時は、それほど「自前主義」へのこだわりが強かったのです。
さて、いまはハフィントンポスト、バズフィードといったネットメディアを含めて、報道に関わる主体が一気に増えています。そして、ネットメディアのほうが、その性格上、フットワーク軽く、フェイクニュースなどソーシャルの病理に数多く切り込んでいるように見えます。
ネットメディアがまず報道することで、ソーシャルの世界で大騒ぎになる。その騒ぎを受けて、伝統的マスメディアが取り上げるというニュースサイクルすら目立ちます。そういう中で、こうした「自前主義」は、どこまで通用するのか、いささか疑問に思います。
実際には、最近は、ネットメディアの独自ニュースであることを明示しながら、追いかけ報道するメディアは増えてきました。評価できる仕事は、きちんと報道するという姿勢が少しずつ定着してきたように思います。
他方、先にちょっと触れましたが、フェイクニュースのチェックのために協力し合う動きが日本でも出てきています。ネットメディアなどを中心に、「ファクトチェックイニシアティブジャパン」(FIJ)という NPO が昨年、立ち上がりました。
しかし、既成マスメディアの多くは、関心が低いと聞きました。「わが社では昔から、校閲部門で事実チェックをきちんとしているので、参加しません」という反応もあったそうです。
ファクトチェックは、虚偽情報がソーシャルメディアで拡散するのを防ぎ、それによる社会へのダメージを減らそうとするもので、従来型の校閲とは性格が違います。かつ、個別企業の問題でもありません。これも悪しき「自前主義」の片鱗なのかもしれません。
昔から、いろいろな機能を企業の中で垂直統合してきたのが「自前主義」です。ですから、今は逆にデジタル時代にふさわしい水平協業の世界が求められているとでもいうべきでし ょうか。いずれにしても、長く続いた「自前主義」から自覚的に決別する時がきているような気がしてなりません。

8.みんなでお神輿を

青臭い話かもしれませんが、我々の仕事は、みんなのため、つまりパブリックインタレストのためにあります。かつてマスメディアは、パブリックインタレストにつながる情報のかなりの部分に責任を持っていました。
しかし、ここにきて、我々の力が相対化された結果、いまやパブリックインタレストという「お神輿」を、より多くの関係者で担ぐ時代が来たのではないかと思うのです。
そして、これからの我々既存マスメディアの役割は、神輿担ぎのリーダーを目指すということではないでしょうか。
我々が担ってきた「事実」へのこだわりや、ジャーナリズムとしての「倫理」などは、我々が使命として新しい仲間に、ぜひとも伝えなければならない大切なものです。そしていま、デジタル化の進展で、新しい仲間は、ネットメディアや NPO、IT 技術者、あるいはプラットフォーム企業など、どんどん増えています。
民主主義のためには、いわゆる情報の公共空間が必要です。その維持のために、事実にこだわり、真実を突き詰めるという、いわばジャーナリズムの「志」が大事です。それを共有できる仲間たちと協業していく時代に入りつつあるのではないでしょうか。
公的なものをみんなで一緒に担うには、これまでと違った新しい発想と自覚が、個人としても、企業としても、また業界としても必要だと強く感じます。その意味でもジャーナリズムは曲がり角だと思う次第です。
さて、昨年1月、トランプ大統領の就任式に関係して、「オルタナティブ・ファクト(代替的事実)」という言葉が登場しました。
大統領補佐官がメディア批判でいった言葉ですが、「事実は色々あり個人によって感じ方は違うのだからそれでいい。メディアも自分の好きな事実を書いているではないか」と言わんばかりの発言でした。
1年半前、この言葉を聞いて、米国も大変な時代になったなというのが感慨でした。ところが、最近の日本をみると「オルタナティブ・ファクト」があちこちに顔をのぞかせる社会になっているような気がしますます。
エビデンスのない強弁が行きかい、あるいは不確かな情報で公共政策が決定されていく ような状況が生まれている感じがするのはわたくしだけでしょうか。
事実にこだわり真実に迫る、ジャーナリズムの力が今ほど求められることはないと最近は強く感じます。そのためにはマス倫懇の皆様に、これからもっと頑張っていただきたい。今日は、そういう思いでお話をさせていただきました。今日の話が、事態を好転させる方向に少しでも役立つことを願っております。
私は自分がやっていた記者、ジャーナリストという職業が大好きですし、社会にとってなくてはならない仕事であると信じています。今日はもともとまったく専門ではない、デジタルの領域にもあえて踏み込んで、いろいろお話しました。的外れのこともあったかもしれません。しかしそれも、この職業をこの国で、よりスムーズに新しい時代に適応させたいという思いのなせる業だとご理解いただき、ご寛恕願えれば幸いです。
最後に、マス倫懇の皆様のますますのご活躍を、重ねてお祈りして、話を終えます。ありがとうございました。

マスコミ倫理懇談会全国協議会 結成60周年記念シンポジウム
「改めて、メディアへの信頼を獲得するために」

1 はじめに

司会=パネルディスカッション「改めて、メディアへの信頼を獲得するために」に入ります。コーディネーターは、東京大学大学院法学政治学研究科教授の宍戸常寿先生にお務めいただきます。よろしくお願いします。
宍戸(東京大学)=私はマスコミ倫理懇談会全国協議会(以下、マス倫懇)の「メディアと法」研究会の客員研究員を務めさせていただいております。
マス倫懇が60周年を迎えるお祝いとして開催される、記念シンポジウムのパネルディスカッションでコーディネーターを務めさせていただくのは、メディア法の研究者として大変光栄です。
メディア、ジャーナリズムのあり方が大きな曲がり角に来ていると思います。先ほどの吉田慎一さんの基調講演からもうかがえますが、いわゆるオルタナティブ・ファクトとか、ポスト・トゥルース時代といった現象が起こっています。
そういった状況の中で、例えばSNSがAIを使って誤った記事を削除していくといった対策など、世界、とりわけヨーロッパの各国などで、そのような情報流通の流れについて一定の規律を求める動きが見られます。
その背後には、マスメディアがこれまで担ってきた公正、中立性、あるいは事実に則した客観報道などの価値が、さまざまな要因によって揺らいでいることがあります。マスメディアという主体に対する批判、あるいはマスメディアのあり方が前提にしてきた環境が大きく変容してきており、その中でメディアに対する信頼が危うくなっています。
逆に、その信頼をどのように回復し、つくり出していくかが、世界的な情報流通の空間における課題として浮かび上がりつつあります。マス倫懇は、昨年9月の全国大会での申し合わせにおいて、倫理水準のさらなる向上に努め、読者・視聴者の期待と信頼に応えるとうたっています。日本国内においても、そのメディアの信頼を問い直すような事例や動向もふえていると思います。
私はもともと憲法の研究者ですけれども、憲法が前提とする健全な民主主義社会の維持発展のために、マスメディアが決定的な役割を果たします。だからこそ、いまこの時期に、これまでメディア界で自明と考えられてきたことも含めて、改めて意識的に遡上に上らせて再考し、それで社会と世論の理解あるいは相互作用を深めるために、今回あえて、「改めて、メディアへの信頼を獲得するために」という題でパネルディスカッションをいたします。

2 実名報道と個人情報、プライバシー

(1)実名報道原則の課題と取り組み

宍戸=プロフェッショナルとしてのジャーナリズムやメディアが、報道の正確性、真実性と、他の社会的な価値との比較衡量を行うことが、全ての領域で要求されます。特に事件報道において、実名報道のあり方が、社会の価値観の変化あるいはSNSなどメディア環境の変化によって厳しく問い直される状況がふえていますので、まずはここを切り口にメディアへの信頼について議論したいと思います。
この問題について平尾さんからプレゼンテーションをお願いします。
平尾(読売新聞)=吉田さんの基調講演にもありましたが、ネットが普及している中で、個人のプライバシーとか、個人情報についてもかなり意識が高まっています。事件現場では、例えばネットの普及などで事件の被害に遭われる方が、悪意の書き込みでいろんな個人情報を晒され、正確でない情報が流れるといったことが往々にして起こる中で、事件の被害に遭われた方、災害の被害に遭われた方たちの対マスコミへの対応が少しずつ変わってきていると感じています。
例を挙げると、座間で9人の遺体が発見された事件、自殺願望があったと言われる人たちを誘い込んでは次々に殺害するという事件がありました。
事件が起こったすぐ後に、それぞれの被害者に弁護士がついて、直接取材はやめてほしい、実名の報道は自粛してほしいという話がありました。
社内でもいろいろ検討し、私たちは実名報道が原則ですので、やはり実名で報道するという基本線はあったのですが、ではどうやって報道するのかについては、いろいろ協議をして、一度だけ顔写真と名前を、一覧表でしっかり載せるというのが一つと、あの事件は1人ごとに逮捕を重ねていきましたので、被害者の逮捕については1回目だけ実名で報道し、繰り返繰り返し被害者の名前が出ないようにという配慮をしました。
それと、ネットでもニュースを流しているので、そちらについては、もともとネットで被害者が事件に誘い込まれ、ネット上でのこのニュースに対する興味関心が多かったのですが、被害者の要望との間で、顔写真は一切やめて、名前についても基本的には出さないという方向で、報道するようにしました。
これと逆の対応をしたのが、相模原の障害者施設で19人が亡くなった事件です。これは警察から氏名の発表がなかったこともあり、私たちも独自で被害者の方の確認はしました。1か月以上かけて、全員の名前はわかりました。
このケースの場合は、いわゆる事件被害者というだけでなく、長年にわたって施設に預けられていて、もう60代とか50代とかという方がとても多かったのです。かつ、その施設に入っている事実すら周りには出したくないという方もいらっしゃるので、いまのところ実名は出ていません。
ただ、いまでもこの取材は続けていて、実名、もしくは写真などでちゃんと出してお話をしてほしいとアプローチはしており、もし承諾いただければ出したいです。なおかつ、怪我をされた方の中には、しっかりと名前を出したいという方がいらっしゃったので、その方はしっかり報じています。
宍戸=座間の事件、それから相模原の殺傷事件に則して、現在の実名報道原則が抱える課題について説明していただきました。天野先生からは弁護士の立場から、被害者の権利を守るという観点からの実名報道原則についての疑問や取り組みについて、発言をお願いします。
天野(弁護士)=実名なのか匿名なのかについて、絶対に実名でなければいけないとか、絶対に匿名でなければいけないとは思っておりません。どういったことをどこまで報道するかが非常に重要なのかなと思っています。
実名を出したからといって、それ以上の情報が出ず、別にプライバシーがさらされることでない上に、遺族なり被害者の方が実名を出すことについて、特段反対の意思表示をしていないのであれば、実名報道がいけないと言うつもりもありません。逆に、匿名にすれば何でも周辺情報を出していいのかというと、そういうことでもないでしょう。
先ほど、相模原と座間の話がありましたけれども、事件が起きて被害者になると、名前、顔写真、周辺情報が飛び交うことがあります。
弁護士としても、一市民としても、被害に遭うまで普通に生活していた方々の情報が、なんでこんなに報道されてしまうのだろうかと思うことはあります。
普通に生活していたときには、プライバシーにかかわる事項が報道で飛び交うということはまずないわけですけれども、それが被害者になったときに、自分たちの知らないところでいろんな情報が流されてしまうのは、非常に疑問です。
相模原の事件では、警察から被害者名の実名についての発表がありませんでした。その経緯を私は存じ上げませんけれども。
他方で、昨年発生した座間の事件では、事前に顔写真の公表や実名報道をやめてほしいと明確に意思表示をしていたご遺族がいらしたにもかかわらず、それがほぼ無視されたのに等しい状況だったと聞いております。実名や顔写真だけではなくて、センシティブな情報までもが流れてしまいました。
そういう事態を受けて、弁護士会や日弁連などでは会長声明や談話が出されています。何でご本人や遺族の同意なしに、そういった生活状況を書き立てられて、勝手に写真を使われたり、自宅を取り囲まれたりされるのかが、よくわからないというような問題提起もされております。やはり理由を考えていく必要があるのかなと思っています。
本日のテーマは信頼です。相模原の事件のときに警察段階で実名の発表がなかったのは、メディアに対して、信頼に値するものが実際にあるかどうかではなくて、まずメディアのほうに発表してしまったら流れてしまうのではないかという危険を感じたからなのではないかなと思っています。
ジャーナリストとしては、まずは公表して、そこから先は自らの判断でやりたいという声も聞きましたし、それが王道、あるべき姿なのだろうと思いますが、そこまでいけないという思いが現場にはあったのではないかと。
実際に、その後に起きた座間の事件で、やめてほしいと明確な意思表示をしていても流れてしまいました。そういう場合は、なぜ報じるのかというところを説明しないとなかなか理解してもらうのは難しいと思っています。
私としては、実名か匿名かではなくて、これを報道したらどうなるかという想像力が一番重要なのではないかなと思います。
別の事件ですけれども、お子さんが殺害された事件で、すごく報道が加熱したという事件がありました。
メディアスクラムが激しくて、当然のように実名報道ですし、顔写真なども四六時中流されていて、ご遺族が見たこともないような動画までが連日流されました。本当に被害者やご遺族に関する情報があふれた事件がありました。
当初、自宅の呼び鈴がいつも鳴っている状態で、自宅周辺とか通夜・葬儀会場などでも、本当に多くの取材活動がされました。
葬儀会場の外でいわゆるぶら下がりは仕方がないですけれども、通夜・葬儀会場を放映するために、会場の中にまで入り込んできてカメラを向けたりもしていました。
実際に「報道で見た」と言って葬儀をしているところに入ってきた方もいました。正規の弔問客か分からない人にも、会葬礼状を渡してしまうわけなので、そこに遺族の住所が書いてあるため、いろんな手紙や不審な物が実際に届くこともあります。
遺族の中に幼い子どもがいれば、外に出すというのは怖いと思うでしょうし、結局そのご遺族たちは転居を余儀なくされて、子どもも名前を変えて学校に通わなければいけないという状況まで追い込まれます。
プライバシー情報が流れ出ることによって、どういう被害が起こるかということは、常に考えていただきたいと思います。
あともう一つ、信頼という意味で、私が以前やった事件で、本当にいろいろ書かれましたが、遺族がその現場に行って置いてきた手紙の内容が報道されたことがありました。それが全然身に覚えがなくて、事実と違いますと申し入れはしたのですが、全く応答がなく、何の反応もなかったこともありましたので、やっぱり信頼を考えたときには、こういったことも検討していただく必要があると思います。
宍戸=何をどこまで明らかにするのか、その合理的な説明がメディア界の側から一般の世論、あるいは被害者の方に対して不十分なのではないかということについて厳しいご意見をいただきました。この点について、田近さんいかがですか。
田近(小学館)=実はこの実名、匿名についてはかなり混乱しています。出版社に入ったこ ろは週刊誌から始まっていますから、実名が原則だと教育されるわけですけれども、最近は、人権の側に近い仕事をやっていたりしまして、割と考え方がそちら寄りになっているところがあり、原則実名だよねと言いながらも、実名をどこまで押し通せるのかについて疑問に思っているところもあります。
ただ、出版の場合は新聞とかテレビと違うのは、事件にしても災害にしても、被害者の方の名前を速報で並べて出すという必然性があまりありません。
もし被害者の人の話が必要であれば、その被害者の人の中の誰かを焦点にして、その周りを取材して、当然遺族なども取材するというふうにして行って、記事をつくるわけです。こういう作業が必要なので、その行程で、例えば遺族に断られることもあると思うので、デスクなどと相談しながら臨機応変に実名か匿名かを判断することが出来ます。
ですので、テレビや新聞の速報とは事情が違うという感じがします。
ただ、考えていく過程は、ほかのプライバシー侵害や名誉毀損と同じです。これが名誉毀損になりそうだけれども、どこまでだったら書いていいのかといった考え方と同様だと思います。
宍戸=いま田近さんのお話の中で、事件報道だけではなくて、災害報道における実名の問題にも言及がありました。これについて、川端さんから少しお話を伺いたいと思います。
川端(岩手日報)=弊社が東日本大震災のときにどういう報道をしたかを、少しお話しします。
実際に被災当初、どのぐらいの方が犠牲になられたり、行方不明だったりするのかが全く規模としてもわからない状況でしたので、何をすべきかを考えて、実際に被災地に入った記者からの情報をもとに、まずは避難所にいる方の名前を何とか紙面で紹介しました。
当時の新聞は片仮名で名前を紹介したケースもありましたし、漢字がわからなくて黒丸を入れたケースもありました。新聞という商品としての価値は分かりませんが、約5万人の避難者の名前を紙面で紹介しました。やはり安否情報が災害時に一番求められているという判断からでした。
これまでもいろんなお話がありました。実名をどう考えるか、報道するかといったところで、その後、岩手県の岩泉で台風の被害が出たときに、行方不明者の名前はどうするという話になりましたし、実際にその前に、常総の関東の豪雨のときに話になりました。人数が出て名前が出ないから情報が混乱したというケースもありました。
そういった災害時の名前の扱いは、自治体によっても、災害によっても取り扱いが違うというのは現状だと思います。
東日本大震災の不明者は1,000人以上いますが、名前は出ていません。
岩泉の台風の際も、遺族の考えで、一方の名前は出て、一方の名前は出ていないという事例があります。
そういったときに、その地域とともに歩んで行く地方紙として、どういう報道をしていくべきかというのは、常に考えているところではあります。
先ほど天野先生の話にもありましたけれども、実名で報道したときにどういうことが起きるかという「想像」、その先を考えるのもメディアの役割かなと思います。
実際に台風10号のときは、高齢者のグループホームに入所されていた方が全員亡くなることがあり、そこの遺族に対する取材が非常に加熱して、家から出てこられなくなった方もいらっしゃいました。

(2)実名報道の意義

宍戸=全国紙か地方紙かによっても違いますし、速報性が重要視される新聞、放送と雑誌のも違いがありますね。また、災害時の問題と、それから事件報道で、正確性、速報性をどうやって追求していくか、そのバランスは常に決着がついておらず、メディア界でも何度も議論されてきても、なお問題が起きるという領域ですけれども、鯨岡さんはいかがですか。
鯨岡(毎日新聞)=実名報道の意義は、メディアの中では真実性の担保などと教科書的に言われます。それに対する厳しい声が増えているのはなぜかという背景まで考える必要があると思います。
例えば事件報道でも災害報道でも、取材現場で記者たちがしていることに対して、住民から厳しい視線が向けられていることがあると思います。
最近でも、新潟の女児殺害事件で、現場周辺の住民から厳しい声が出て、しかも、その住民と称する人がSNSで発信して、取材現場が可視化されてしまいました。以前であればそんなに広がることはなかったですけれども、一瞬にしてSNS上で広がるということで、報道機関は現場で何をしているのか、もっと言えば、何のためにやっているのかが以前にも増して問われていると思います。
先ほど平尾さんからありましたけれども、毎日新聞もメディアスクラム対策や、どう報じるかというのは、ケースごとに考えてやっております。そこからもう一段、先ほど天野さんから提起があった問いかけに応える対策を考えなければいけない時期に来ています。
ただ、非常に難しくて、具体策が浮かばないですけれども、メディアスクラム対策等が進んだ時代から一歩進んで、次どうするかというのが問われているのではないかと思います。
宍戸=メディアスクラム対応のほうは大分進んできていますが、まさにもう一歩進んで、なぜこれを報道するのか、どこまで報道するのか、あるいは報道姿勢、取材姿勢がどうあるのかということを、もう一歩可視化する。とりわけ被害者報道の場合、被害者、あるいは被害者の遺族に対してどうやってそれを伝えていって、信頼されるかについて、天野先生と平尾さんからはアイディア、取り組みなどをお持ちですか。
天野=先ほどは自覚なく、かなり厳しいことを言ったようなのです。事件から時間が経ち、記者から遺族とかにお話を聞きたいというお手紙をいただいたりして、実際に何回か取材に同席しています。多くの記者にはすごく誠実に対応いただいています。さっき「想像力」と申しあげましたけれども、皆さん本当に遺族が語ることに対して、「あーそうだったのか」と共感して、きちんと対応をしていただいています。
ある記者は、遺族の気持ちを本当によく酌んだ記事を書いていただきました。遺族も取材を受けてよかったと言っていただきましたので、どうして取材をしたいのか、何をそれで聞きたいのか、そしてどういう記事を書きたいということを伝えて、それについて遺族なり被害者が、「まあ、それなら」という気持ちになれば取材も受けると思います。そもそも取材はちょっと難しいという方もいらっしゃいますが。中には、精神的に参ってしまっていて、実際にみずから命を絶ってしまった方もいらっしゃいますので、そういうケースを考慮すると、弁護士が入っている事案であれば、具体的に伝えていただいて、それを私たちが窓口になって何かできればと思います。
平尾=やはり遺族取材、家族取材、被害者取材は、本当にアプローチの仕方を考えていかなければいけないし、いまも考えている最中です。
昔と違って、取材対象者がどう反応したのかは、個々の現場レベルだけではなくて、デスクなり、例えば地方で言えば、これは本社まで上がってきてどうだったのだという話を必ず聞いています。そういう意味で言うと、現場レベルで解決させるのではなくて、社としてどうするのかを、いったん持ち帰って協議することが、昔と比べて断然多くなっていると感じます。
それともう一つ、例えば地方であれば、新聞社の場合は新人の記者が行きます。記者教育についても、昔はどちらかというと現場で習って来いという感じだったのですが、いまは「記者としてのスタンスは何」で、「実名報道はどういう意義があるのだ」ということについて、入った段階で、2・3カ月記者研修をして、少しでもわかったうえで現場に出て、しっかり問いかけに答えられるようにしています。私たちが実名をどれだけ重んじているのか、それがどれだけ重みがあるのか、それを報道することでどれだけ共感があり、公共性につながるのかを、個別の話ではなかなか難しい話なのですがちゃんと話せるようにということはしているつもりです。

(3)報道の「真実性」とプライバシーの問題

宍戸=もう一点、特に事件報道の場合は、警察と被害者、場合によっては加害者、被疑者、容疑者、そしてメディアの関係が問題になるでしょう。また災害報道の場合にも、自治体の側で一定程度情報を把握しているけれども、それを出すか出さないかという判断と、メディアとのせめぎ合いがある。あるいは国民、住民が行政機関とメディアのどちらを信頼するかといったような結構シビアな問題も出てきていると思いますけれども、取材の現場でのご苦労とか、あるいはそれの対策は、田近さんいかがでしょうか。
田近=私はもう現場から離れてしまったので、苦労は忘れてしまったという感じですけれども、私たちの場合は、社員は編集です。編集者も取材はするのですが、フリーランスの方にお願いすることが多くて、この方々がかなり取材力のある人たちです。
そういう人はそれぞれのノウハウを持っていて、なかなか新聞やテレビが行っても話さなかった人をうまく話させてくるというテクニックをそれぞれ持っておられます。あまり秘密は開示してくれないですけれども、現場の住民に溶け込むために一緒に雪かきを1時間以上やったとか、そういう苦労話を時折、開陳してくれるときがあります。
鯨岡=近い事例で言いますと、草津で噴火があったときに、自衛隊員が亡くなられて、自衛隊は名前を出しませんでした。ずっと発表しなくて、各社とも自力で突きとめて、発表前に書いたと記憶していますけれども、そういうところはあるかなと思います。
自然災害ですし、彼らは訓練で公務中だったので、昔なら当然出てくるものが出てこない状況にはなっていて、そこでは現場の取材陣の努力を、各社やっていると思います。
宍戸=実名報道、メディア界では原則とされてきましたけれども、いまではあたかも機械的にしゃくし定規に、これが当然だというようなことではなく、現実への適用を考えなければなりません。
先ほど平尾さんのお話でいいますと、場合によっては速報性にブレーキをかけるような形でも、真に信頼され、納得をされるような実名報道を優先する部分もあるかもしれません。
しかし、他方で、とりわけ公権力が絡むような場合について、グッと真実に迫っていかなければいけないという側面も、いままでよりも一層強くあるでしょう。差し当たり、実名報道の問題、あるいは報道の真実性とプライバシーの関係については、ひとまずそういうイメージで私はおりますけれども、何かほかに関連してございますか。
平尾=結局は最終的にはケース・バイ・ケースになってしまうと思います。一律の基準というのは難しくて、例えば、先ほど出てきました座間の事件などでも、社によってどういうふうに名前を出すかは対応が分かれましたけれども、どの社が正しくて、どの社が間違っているということではないと思います。各社がそれぞれ真剣に検討しているわけですから。逆に、その過程も明らかにして、なぜ我々はそういう判断をしたかということを積み重ねていくということで、それに対して社会からの反応を待って、落ちつくところというか、バランスを探していくことなのかなと思います。
宍戸=やはりプラクティスを共有していく、あるいはそれが可能な範囲で社会や天野先生に代表される法曹界などと相互作用を起こしていくことが今後必要となってくるという印象を持ちました。
すでに取材現場がネット上で可視化されるといった問題も含めて、2つ目の柱の「ネット時代におけるメディア」のあり方、あるいはメディアの役割に少し話を進めてみたいと思います。

3 ネット時代におけるメディアの役割

(1)ネットメディアへの取り組み

宍戸=どうしてもメディア側でネットの問題を議論することになると、ネット上の言論はフェイクニュースばかりで、それに対してマスメディアの報道は真実であるということをメディア側が叫び、そうではないということを逆にネット側が批判するという、吉田さんの言う「あっちの世界」と「こっちの世界」という分断状況がかなり続いてきたように思います。全体として、国民の知る権利が充足されて、健全な世論が形成されていくうえで、どういう取り組みがメディア側からなされてきたのか、あり得るのかについて、まずは鯨岡さんのほうから、話題提供をお願いできますか。
鯨岡=統合デジタル取材センターという組織が毎日新聞に新しくでき、デジタル向けのコンテンツを増やそうということを目的に発足しました。
新聞のいわゆる伝統的な社会部とか政治部とか、出稿部とは趣の違う組織ですので、どんな仕事をしているのかをまず理解していただくために説明します。新聞で言いますと、私も紙の新聞にもいまも携わっていますが、昔もいまも夜中の2時半とかに他紙と交換して、勝った、負けた、うまくいった、いかないとやっているわけです。ネットの世界で言うと、他紙だけを相手にしているのではなくて、ネットメディアとか、ほかのものも意識していつも仕事をしています。
ネット上でどう読まれるかを意識していまして、部内では、例えば書いた記事のページビューは全部部員に公開して、それで判断しているというのもあります。
最近ですと、サイトの有料化が各社進んでいますので、有料会員獲得にどれくらいつながるのかも、いまや指標になっています。
会員獲得というと、「売らんかな」というイメージかもしれませんが、実際にはそういうことではなくて、お金を払ってでも読みたい記事、読者が納得するいい記事でないとやっぱり有料会員になってくれないというのは、日々データを見ていると明らかです。新聞記者が書きたい記事ではなくて、読者が読みたい記事というニーズに的確に答えていくということが必要だなということが、この仕事をやってみての実感です。
だから、紙だけに自分も記者として書いていた時代よりも、もっともっと読まれる記事というのを目指す意識というのが強まったと感じています。
実際ネットと向き合って仕事をしていく中で、我々新聞がどう見られているのかを、幾つかきょうの議論の前提となる材料としてお話ししたいと思います。
先ほど、吉田さんの講演で、ほとんど総論と状況を適切にお話しされてしまったので、ここでは現場のお話を挙げます。
例えば、私どもの組織の公式ツイッターで、担当者がいわゆる不適切なツイートをして批判されるという事案が起きたことがありました。
そのときに意外だったのが、ツイートの中に、毎日新聞が記事でこんなことを書いているというのがありました。我々の中では常識として、ツイートはツイートであり、記事ではないと思っていましたが、それが毎日新聞の公式見解かと批判されるのは当然として、記事と捉える読み方をされるというのは、やっぱりいまの時代なのだなと感じました。
それから、朝鮮学校に対する補助金に関して、敵を利する行為だというネット上での書き込みであおられて、弁護士会に大量の懲戒請求を送りつけるという件について記事にしたことがあり、そのときに驚いたことは、この記事を新聞紙面と同時にサイトでも流したところ、「ようやくネットニュースになり始めましたね」という反応がありました。「問題点が多くの人に知られるのはいいことです」という書き込みもありました。新聞社で働く者としては複雑ですが、紙で書くのではなくて、ネットに流れないとニュースと捉えてもらえないというような象徴的な事案です。
こちらは参考ですけれども、NHK放送文化研究所の2015年国民生活時間調査というのを参照してみますと、新聞を平日に読んだ人の割合というのがありまして、10代の男性だと4%、20代男性でも8%、30代男性でも10%にすぎないということがあります。
だから、若い世代に皆さん思っていることかもしれませんが、それ以上に新聞を読むという習慣がなくなっている。我々新聞人もいや応なくネット空間で生きていかなければいけないということは、実体験からも数字からも明らかになっているかなと思います。
それから、別のケースですが、座間の事件に関して、いわゆるトレンドブログで、事実無根の投稿を多数載せている人がいまして、その管理人にうちの記者が接触に成功して、なぜそんなことをするのだということを大きく記事にしたことがあります。
その記事に対する反応の中で、ネット=デマの拡散で、新聞購読をふやそうとしているのかというような反応がありました。これは管理人も自分は誤ったことを書いていることを認めているケースで、先ほど出ました、いわゆるフェイクニュースを自分は拡散していますと自分で認めている記事なんですけれども、それに対してもこんな反応があるということです。
これはネットに関する問題点を指摘する記事を出すと、特徴的にある程度の割合であらわれる反応でして、新聞は何でもネットを悪者にしようとしているという考えが根底にあるようです。
皆さんも感じられていることかもしれませんが、背景にあるのは、新聞は真実を伝えていない、ネットにこそ本当のことが流れていると考えている人もそれなりにいることがあるようです。こうした人たちが新聞を批判するときによく持ち出す言葉が、「報道しない自由」です。自分たちに都合のいいことだけを報じているのではないかということでして、こういうケースをまさにフェイクニュースを指摘するような記事を出しても、そういう反応がある程度あるというのは、どうやって信頼を獲得していくかというところでは非常に困難さを痛感します。
また別のケースで、有料会員向けに、自民党の幹部の方の「子どもさんがお母さんと一緒にいられるような環境が必要だ」という発言の問題点を指摘する記事を出したときの反応として、「何でこんな大事な記事を有料にするのですか」というツイートがありました。
これは実は最近よくある反応で、ほかの記事全般に対しても読者から寄せられた声として、「いろいろご事情がおありかと思いますが、ぜひネットの購読料を無料にしてください。ネットでしかニュースを見ない人々、特に若者への影響は少なくないかと思います。貴社のような良質な中庸な新聞がいまほど必要なときはないのではないでしょうか。ご検討を切にお願いします」と。弊社の記事をそこまで評価していただくのはありがたいんですけれども、我々も収益を上げないと報道を続けていけないという中で、いい記事は無料にしてくれという反応が実は最近目立っていまして、それにどうすればいいのかというのも悩みどころとなっています。
「信頼を獲得するためにどうしたらいいか」というテーマですけれども、そのためにネットと向き合う中では、いろいろ具体的な課題が立ちはだかっているということをご報告して、私の冒頭の発言とさせていただきます。
宍戸=特に若い世代を含めて、読者あるいは視聴者のメディア離れと、それに対応していくうえでの報道の変化、ネット世論との向き合い方、あるいは経営のあり方も含めて広くご指摘をいただきました。平尾さんからもコメントをお願いできますか。
平尾=私からすると、新聞の記事は信頼性が高いということを主張するしかないと思います。先ほど吉田さんの話の中で、Twitter とか、SNSの発生の情報とか、テレビ局とかもいろいろと入れているという話をされていたと思うのですが、それは新聞社もやっていまして、私たちもいままでは、警察とか消防とか、そういうところで発生を感知することはあったのですが、今はSNSで現場にいる人たちがいろいろ上げている話で、何か事件が起こったり、事故が起こったりということを感知するということはやっています。
一つ大きな問題として、多くのケースで内容がちょっと違うということです。例えば、駅のホームから若い子が落ちて、どうやらスマホをやっていたようだというツイートがあって、確認して取材をいろいろしてみると、結局酔っ払って落ちただけで、スマホは持っていなかったというものです。歩きスマホはかなり危険だという話をされていたので、すぐ取材をしたのですけれども、やっぱり私たちとしては一個一個確認していかなければいけません。しっかりと裏をとって、間違いないというところを出すしかない、そこが信頼であると思っています。

(2)ネット時代の報道の在り方

宍戸=私は、ネットの世論全体が既成のメディアに対して批判的だとはあまり思わないのです。かなりの部分ネット上でのユーザーの表現言論は、ネットに出ているマスメディアのデジタルな報道を引用して、それに乗っかる形で議論していることが多いです。その意味で、本当の事実のソースは、依然マスメディアの取材によるところが大きいと思います。
ただ、他方でネットの中にはいろんな意見があって、自由に言えることはいいことなのだろうと思うのですけれども、その中で非常に先鋭的なメディア批判があります。必ずしもいままでの既成のメディアの取材のやり方では把握できないような事実・意見・側面について、「報道しない自由」を行使しているというふうに批判されるという気がしています。
きちんと事実を確認して報道しているということを見せていって、不毛なメディアとネットの間の分断をなくしていかねばなりませんが、そのためにはどうしていけばいいのでしょうか。
鯨岡=一つは、平尾さんもおっしゃるように、我々が書かなければ絶対表に出ないこと、特ダネを書くというのは、ネット時代であっても変わらないと思います。最近でいえば朝日新聞の森友・加計問題の報道などです。ファクトチェックもそうだと思います。
ただ、先ほど吉田さんのお話と通底する部分なのですが、メディアの上から目線を改める必要があると思っています。新聞、テレビが情報を独占した時代は昔のことです。
確かにネットに流れる情報は玉石混交ですけれども、インターネットがもたらしたよい効果も非常に絶大で、当事者・専門家初め皆さんが情報発信手段を手にしたということで状況は一変しました。
確かに新聞、テレビは相対的にみれば正しい情報を伝えていることは間違いないと思いますけれども、私たちが取り上げ切れていない問題もたくさんあって、ネット上の発信とか指摘がきっかけになって社会が動くケースも次々出てきているということです。
だから、その中で新聞は正しいと言い募ってみても、それだけで信頼を得られる時代ではないということで、事実のちゃんとした発信とともに、自分たちが多くのメディアの中の一つにすぎないことをきちんと認識してやっていく、日々のやり方を変えることで、信頼獲得という動きへ徐々に変わっていくしかないと思っております。
田近=いまのお話とリンクするかわかりませんけれども、雑誌で言いますと、例えば週刊新潮の福田次官のスクープでは、その後に音声を流すことで確認する、本当に撮っていることを示します。文春もそれをやっています。
従来の雑誌の文字だけで想像力で読んでいたところを、音声や画像を出すことで、「なるほど、こういうことだったのか」と確認させる試みがおもしろいなと思っています。
それともう一つ、私とは全く主張が対極にある産経新聞ですけれども、産経新聞を評価していることは、例えば憲法集会などで著名人が来て話すと、ネットにその全文を載せています。何の論評もしないで載せているのです。
例えば鎌田慧さんはこういうことを言っていたと、新聞だとちょこちょことつまんで書いるけれども、全部読むとこういうことも言っているのだなということがわかって、これはやっぱりネットだから分量関係なくできることだと思います。
宍戸=生の事実をきちんと、しかもデジタルで提供し、そのうえでみんなが言論し、報道も事実に照らして評価することができるという意味では非常にいいことだと思います。
プロの技がどこにあるのかをみんなに評価されるという意味でもいいことだろうと思うのですけれども、天野先生はいかがですか。
天野=裁判で被告人質問などの一問一答全てがデジタルに載ったことがありました。もちろん公開法廷なので一生懸命メモをとられるのはいいのですけれども、録音は禁止されておりますので、別に問題にはしていませんけれども、ちょっと倫理上どうなのかなと思ったことはありました。
宍戸=本来、法廷にカメラ取材などが入ってもいいのではないかという大きな問題も法廷報道にはありますね。
他方で、現在のルールとして録音が禁止されているときに、仮に録音をやっているのだとすると、これは報道倫理という観点から見てどうなのかという問題は出てきます。
裁判はまさに公開の場ですので、さらにその公開をしっかりやっていく、あるいは裁判報道を事件報道よりもしっかりやっていくことのほうが本来理にかなっている気もします。
天野=遺族に限らず、コメントを出すことも当然ありますが、そのときにやはり全文を載せてほしいという意向はどうしてもあります。
つまみ食い的に出されてしまい趣旨が伝わりにくくなるだけでなく、編集されている方の考え寄りになりそうなこともあるので、デジタルのほうで全文掲載はいいのかなと思います。先日の名古屋のネットカフェの事件では、地方紙ですけれども、全文載ったと聞いていますので、紙媒体ではできないということではないとも思うのですが、デジタルの強みとはそういうところにあるのかなと思いました。

(3)地方紙におけるネットメディアの取り組み

宍戸=いま、地方紙というお話もありましたので、川端さんのほうで、地方紙におけるネットの向き合い方、利用の仕方で気をつけていらっしゃることなど、あれば教えていただけますか。
川端=天野先生のお話にもありましたが、紙面の補完機能はあると思っています。
さっき吉田さんも、震災のときに、非常にソーシャルメディアのパワーを実感したというお話がありました。一方で、それは紙媒体の力も非常に感じた出来事でもあったと思っていて、弊社もホームページをリニューアルするなど、紙とネットの共存というところを非常に考えています。
それは未読者層へのPRという意味でも大きいなと思っています。岩手県の話だと、例えば最近、大谷選手が大リーグに行きましたので、そういうニュースをいかに若い方に読んでいただくかも含めて、国内からのアクセスだけではなく、世界からのアクセスも見据えて、一部記事を英訳してホームページに載せるなど、新しいチャレンジをする中で、最終的には紙媒体をいかに読んでいただくか、に結びつけるところも考えながら進めている現状はあります。
宍戸=先ほど鯨岡さんがおっしゃられたことの中で若干気になっていることがございまして、ネットで記事を配信すると、個々の記事についてどれだけ読まれている、読まれていないということが、いわばリアルタイムで返ってきてしまうわけです。
それに引きずられ過ぎると、現在の読者・視聴者の関心にマッチしているけれども、提示すべきものを提示するという部分が疎かになり、メディアの自立性が弱まるのではないか、何か心構えとか注意されている点というのがあれば教えてほしいのですが。
鯨岡=ページビューを可視化されるようになって特徴的なのは、例えば特ダネとして、一面頭で出している記事のページビューがどれくらいかと見ると、驚くほど少ないときが結構あります。
ただ、自分は紙面のほうもやっているので、朝刊当番で入るときに、そういう発想はないですね。必要なものであると、例えば毎日新聞でいまやっている何かキャンペーンがあったとすれば、それはやっぱりジャーナリストとしてやらなければいけないという意図でやっていくので、いまのところ社内で、ページビューが低いからやめろとか、そんなことは全くありません。
宍戸=安心しました。ネット系のメディア、とりわけネット上の広告収入に依存するキュレーションメディアについては、この点は気になるところです。

4 ジャーナリストが直面する問題

(1)メディアにおける働き方とは

宍戸=それでは、次に「ジャーナリストが直面する課題」についてやや踏み込んで議論をさせていただきたいと思います。
この間、若干言いにくいことでもございますけれども、メディアにおける記者の方の働き方について、社会あるいは政治行政の側からも厳しい批判が出てくるような事例が幾つか出ています。
政府は、今月出てきました「女性活躍加速のための重点方針2018」においても、メディア分野を特に取り上げて、国民の意識の情勢に大きな影響力を持つメディア関係業界において、その報道編集、番組制作などにおける政策や方針の決定過程で女性の参画拡大に関する取り組みというものを促す、あるいは働き方の見直しに向けた取り組みを促進するということが書かれています。
現実にどうやってやるのかはよくわからないところもございますけれども、そういった ことが政府において、いわば労働、あるいは雇用、あるいは働き方といったような観点から指摘がメディア界に対してあるという状況です。
他方、そのような指摘を待たなくても、一人一人のジャーナリストの方が性別であるとか世代とかを問わず、やりがいを持って働くことは重要です。メディアとしてよい人材を確保し、あるいは育成していく環境を整備することが、ひいては報道、取材の質を維持向上させていくことに当然つながるのだろうと思います。
そういった観点から見たときに、メディアにおける働き方について、これは社内もありますし、とりわけ取材対象者、取材先ということを含めた対外的な関係もあると思いますけれども、幾つか課題が現実にあるでしょう。
この点につきましては、まずは川端さんからコメントをいただきたいと思います。
川端=まず社内のことからお話しします。もちろん働き方改革はマスメディアの中でも必要だということで、弊社でも取り組んでいます。すごく難しいところがいっぱいあって、まだまだこれからという段階ですけれども、そういう中で、弊社も女性の社員というのは増えてきていますし、ここ5年ぐらいだと、全体で300人ぐらいの規模の会社で5・60人が女性です。
実際に、50~60人いる女性社員のうち、編集局に所属する女性が約半数で、女性社員とか、女性記者が増えているのに当たっては、ライフステージに合った働き方をどう提案できるかは、会社としても随分前から考えてきて、それを実際に実践する形にもなっています。
私も4月に釜石支局の支局長となりましたけれども、女性支局長が出ていることも一つですし、女性の編集局次長がおりますので、女性社員の対応も含めて、働き方改革の中でパワハラとかセクハラ対応を担うというのも決まって動き始めています。
実際にそういう社内における働き方をどう考えていくかは、女性社員だけではなくて、全社的に考えて進めていく部分ではありますけれども、一方で社外、対象者を考えたときに、同性だからできる取材もあるのではないかなと考えています。
一つに、震災のときの避難所での女性への性暴力とか、震災後の仮設住宅での生活の中でより顕著になった夫からのDVとか、そういう取材をする中で、私が実際にそういう方々とお話をした経験から「話す環境」という意味で、同性は重要です。
宍戸=この場には男性で管理職の立場におられる方がおられますので、お話を伺えればと思いますけれども、まず平尾さんからお願いできますか。
平尾=もちろんセクハラ・パワハラ問題については、社内でもしっかりと内規がありますし、窓口等、社内外問わずありますし、話を聞けば動きます。私が社会部長になる前、地方部にいましたが、支局でも何かあれば、こちらで対応するということはやってきています。
その中で一番、なおかつ多分ほかのところと比べても、育休とか産休とかの制度は充実しているだろうし、やっぱりそういう方向に向かっていかなければいけないなという思いで会社もやっているとは思います。
ただ、一つあるのは、パワハラ・セクハラ問題ではなくて、女性の働き方という意味で言うと、一番大きな問題でして、相手は社会全体ですので、24時間対応しなければいけないという中で、どこまで休みというか、働き方を改革していくかというのはとても重要な課題です。若い人たちが少し最近敬遠しているのも、そういう意味で言うと大変だというところもあったりして、そこは理解してもらわないといけないと思います。私たちがやっているのはとにかく休みをしっかり取る、それが一番かなと思います。何かあれば代休を取るし、交代で出ます。24時間動くのは仕方がないとしても、休みをしっかり取るというのが第一前提でやっているのが実情です。
宍戸=いま、交代で記者を回しながら、24時間の突発的なことも含めたニュース、取材対応されていくということですけれども、逆にそうなってくればくるほど、管理職の方の腕、マネージメントという観点での能力がさらに要求されてきているように思うのですが。
平尾=大変だと思っています。休みがとれていないとか、いろいろ話もあるし、ただ紙面を何とかしないといけないというのもあるので、一番、そこは悩みではあります。体制や人事をどうするのかということが、仕事の大きなウエイトに、多分昔に比べてもなってきているのだろうなと。昔は、特に社会部長になれば紙面のことをほぼ考えていればいいと言っていたのが、いまはそうではないと実感しています。
宍戸=この点、雑誌ではやはり少し状況が違うという感じでしょうか。田近さん、いかがで しょうか。
田近=そうですね。週刊誌ではフリーランスにお願いしている仕事もあるので、自分が忙しいときはフリーランスに休んでもらったり、その逆をしたりと意外にバランスはとれていると思います。四六時中みたいなことは、あまりないです。そこはうまくいっているのではないかと。
宍戸=フリーランスの方の労働状況について、雑誌の側では同一労働同一賃金のような話などに、どのくらい気を使っていらっしゃいますか。
田近=フリーランスの方は弊社だけでなく、他社でもやっているので、弊社だけだと思ってがんがん頼んでしまったりすると、ほかもあったりして、かなり山のようになっている人がいる可能性はあります。ただ、我々がそこまでは言えないことなので、「無理だったら言ってくださいね」くらいのことは言っています。

(2)記者教育の変化と「働く意識」の変化

宍戸=順番に鯨岡さんにも伺いたいのですが、先ほどまでのお話の中で何度か、記者教育をしっかりして、プロフェッショナルとしての能力を維持し高めていくことを若い世代にやっていかなければいけないというお話がありました。さらに、先ほどの吉田さんのお話の中にも、新しい技術を当然、いまや情報化社会の中で最先端にいる記者として、デジタルあるいはAIとかSNSについての理解を深めなければいけないということで、いわば一定以上のキャリアのある記者の方についても再教育的な部分、あるいは現役の若い記者の方にそういった技術や知見を高めて、デジタルでも記事を書いてもらわなければいけないというような、記者の方のトレーニングや能力向上の必要性は増えてきていると思います。そういったことに、鯨岡さんの立場からも見て、十分メディアが対応できているのか、課題は何なのかについて教えていただきたいです。
鯨岡=先ほど吉田さんのお話にあったように、身につけなければいけないものは増えていますし、会社としては30年前には考えられないぐらい研修がいろいろ充実していますけれども、やっぱりまだ自助努力に任せている部分は残念ながら多いというのが現実です。
宍戸=天野先生は女性の労働、一般に労働環境の問題についても弁護士の立場からご知見があると思います。いままでの話を受けて、何か気になられた点とか、コメントがあればいただきたいところです。
天野=報道という仕事は、ホットな話題でなければならず、時間が過ぎると価値が下がってしまうという中で、記事と労務とのバランスを取るのは本当に大変だと思います。
先ほど川端さんから、女性の管理職のお話もありましたけれども、日弁連でも、やっぱり弁護士業界もほぼ似たような状況でして、クオータ(割り当て)制などを導入して執行部に女性を入れています。私が所属している神奈川県弁護士会の会長も女性です。
いま時代がかわっている中で、平尾さんからは、なるべく休みをとりなさいと言っているという話がありました。そこで感じたのが、真面目な人ほど休みのときにも自主的に取材をしてしまったりとかしないのかなと。その辺を聞きたいと思ったのが一つ。
同じ観点から言うと、田近さんがさっきおっしゃっていた「無理だったら言ってくださいね」というのも、断ったら次の仕事が来ないのではというプレッシャーがあるのではないかと感じていて、どうしても労務という枠組みだと使用者や頼んでいる方が、強い力関係にありますので、その辺を伺いたいと思いました。
平尾=最近の若い人たちの意識は大分違っています。若い2年生ぐらいの記者が、自分が担当しているエリアで殺人事件が発生して、私たちの古い感覚でいえば、それだけ社会面をにぎわすような大きな事件をやっているのだから、まさか次の日休むという感覚は基本的にないのですが、「私、あした休みです」と第一声に出てきていました。そういう意味で言うと、大分若い人たちの意識は変わりつつあると思います。それが良い悪いは別にして。
中堅以上の記者については、身についたものがあるので、どうやって改善していくかが課題です。もちろん、ある程度事件があって休みを潰さなければいけないとしても、代休を必ずとらせるとか、そういうことで何とか休みがしっかりとれるようにはしています。
鯨岡=休めというのはかなり徹底していまして、トップから率先して、それこそ公休取得とか、年休取得とかも、数値目標を掲げて、未達成であれば所属長が指導されるというようなところまでやっています。大分進んでいることは間違いないと思います。
ただ、現場でどうしても忙しいときはどの持ち場でもありますので、そこはどうやっていくかというのは課題ですけれども、「休め」という号令は昔では考えられないぐらい新聞社の中でもやっているのは間違いないです。
宍戸=学生から見たときに、何となく報道はきつい、つらいみたいなイメージがあるので、いまのお話はぜひ発信していかれるといいと思います。ただ、もう一歩進んで言いますと、報道界では男性の方が育休をとることはまだ少ないのでしょうか。
平尾=育休ですか。うちの社では、社会部でもあります。
鯨岡=もちろん弊社でもあります。
宍戸=それはよかったと思います。もしかしたら大学のほうが遅れているかもしれません。
先ほど川端さんから、同性の強みで、取材先でしっかり人として入っていって、いい信頼関係を築いて、しっかりした記事をつくっていくといった話がありました。この点は、昨今報道されているように、裏の側面が当然あります。
例えば女性の記者が男性のとりわけ権威的な立場にある人との関係での取材においてハラスメント的な問題があるかもしれない。
もう一歩進んでいいますと、非常に権威的な立場にある人のところに、男性、女性関係なく若い記者が行くときに、ある種の嫌な思いをするといったこともあると思います。
そういった取材先との関係と、記者がハラスメントを受けないようにどうするかということは、新聞協会でも民放連でもいろいろ議論があると思います。そういった問題について、それぞれの社においてどういう議論をされ、あるいはどういう点に気をつけられているか、お伺いできますか。
平尾=もともとハラスメントについての社内の規定はありますし、相談窓口もあるし、新人だけではなくて、デスクとか中堅とか、それぞれに全部研修があって、そこには必ずハラスメントの話はあるので、多分かなり周知されていると思っています。いまこういう状況なので、もう一度徹底しましょうという話はしています。

(3)働き方に対する社内意識の変化

鯨岡=いま社内で一番言われているのは、相談しやすい雰囲気をつくろうということです。体制的なものは前からあるのですが、やはり相談しにくいのはよくない。
だから、何かあったときに上司でも、その専用相談窓口でも、相談しやすい環境をつくろうというのが、いま社内で広く周知しようとしているところです。
川端=社内での研修とかは弊社も取り組んでいるところはありますし、いま鯨岡さんがおっしゃったように、相談しやすい環境という取り組みはすごく進んできています。
弊社も女性記者が増えているので、ほとんどなくなったと思いますけれども、一昔前、女性記者が少なかったときは、女性の記者が取材に行くと、「あ、女性か」みたいな見られ方はもちろんあったと先輩の方から聞くこともあります。そういう対象者側がどう受けるかというのもあるのかなと。
宍戸=取材対象者の側も、意識を変えていかなければ行けないと思います。私も時々取材を受けることがあるのですが、女性記者と男性記者で別の対応をするのはおかしいわけです。取材対象者や社会に対して、こういった強いメッセージを新聞協会や民放連、報道各社が発信していくことも重要なのではないでしょうか。
川端=そうですね。それは自分たちが発信不足だというところはもちろんあると思いますし、社内の体制としてもそういう状況ができているというところは、自分たちのことをもう少し外に発信するというのは大事かなと思います。

5 総括討論

(1)「メディアの信頼」の維持、獲得のために

宍戸=それでは、全体をまとめて、メディアの今後、あるいはメディアへの信頼をどうやって獲得していくか、いまどういう点に課題があるのかについて、自由討論をいたします。
田近さんのほうから問題提起をいただければと思います。
田近=いま私は日本雑誌協会で人権・言論特別委員会の委員長をやっていまして、どんなことをやっているかというと、例えば特定秘密保護法に反対する声明とか、共謀罪に反対する声明とか、そういうのをまとめて出すことをやっています。
その活動が主であるため、どちらかというと報道する側というよりも報道される側になって見た場合に、ちょっとメディアの不甲斐なさを感じます。
特定秘密保護法と共謀罪、これは割とメディアも報じていたと思います。その間に、刑事訴訟法等改正があり、その中で盗聴法の拡大、司法取引の導入、取調べの可視化という改正が行われました。
この盗聴法拡大に対して、我々はプライバシーの侵害の問題や、編集部を盗聴される可能性、その後の共謀罪の土台になるという観点から反対しました。
ところが、これに関して、ほとんどのメディアは報じてくれませんでした。東京新聞と朝日新聞、あとは地方紙が記事にしてくれましたけれども大手紙はほとんど報じなかったのです。
共謀罪の土台になるのが、盗聴と司法取引です。まだ犯罪が起こっていないのだから、その起こっていない犯罪を調べるには盗聴するとか、司法取引で誰かを裏切らせるとか、潜入捜査するとか、会話傍受するとか、室内を盗聴するとか、そういうことが必要なわけです。その中の2つが入っているのに、共謀罪を重要視したメディアでさえ何も反応しませんでした。そういうところに非常に憤りを感じました。
市民の人たちも、何で報じないのだろうと言っていました。重要な点はこの法案に可視化がついていたことです。なので、可視化法案ということでは報じているのです。
可視化法案には日弁連は賛成しているのです。だけれども、日弁連以外の単位弁護士会の会長たちは結構反対声明を出している。だから、日弁連の中でも割れているという状況があって、結構これだけでも異常事態だと気がつくのですが、なぜかメディアは可視化法案ということで報じてしまったのです。
可視化法案といわれたら、一般の人は「いいじゃん、いい法律じゃん」みたいに思ってしまうかもしれません。その裏にある、盗聴法の拡大とか、司法取引などはわからないままに通ってしまったのだと思います。
この可視化にしても、全面可視化ではありません。冤罪を生むと専門家たちも言っているし、冤罪被害者の人たちも言っているのです。なぜかというと、逮捕拘束をされてからの可視化なので、その前の段階の任意の事情聴取でおどされて、自白させられて、「済みませんでした」というところで、逮捕と言われて、そこから撮られるという可視化なので、これは冤罪の温床だということを専門家は言っていますが、それも書いてくれませんでした。細かく報じる必要があった法律だと思いますが、報じないことが信頼感を失わせていく一つの原因ではないでしょうか。
それと、行政や政府が使っている「可視化法案」という言葉に乗っかってしまうというところにも問題があったと思います。
亡くなった元毎日新聞の岸井成格さんが、よくおしゃってました。「いまの政府はうまいくて、言葉をいろいろ出してくるから、それに取り込まれてはダメだよ」と。墜落と表現すべきところを「不時着水」と表現したり、「国益」という言葉をたくさん使ったりしています。どうもそのあたりが、大丈夫かなという感じがして、信頼感を失わせる一つなのではないかと思っています。
宍戸=厳しいご指摘をありがとうございます。
私自身が経験し、感ずるところを補足して投げかけてみたいと思います。例えば私自身、政府の個人情報保護法の改正作業などに有識者としてある程度お手伝いする立場にあったのですが、マスメディア、マスコミ側のそういう問題に対するリアクションが、何か二歩三歩おくれていて、しかもずれているという印象を持ちました。
かつて個人情報保護法ができるときには、これはマスコミ規制法になるということで非常に強い声を新聞協会含めいろいろなところで上げられました。
他方、これが改正の議論になるときに、経済部が経済振興との関係で個人情報保護法の改正の問題を追いかけられたという点と多分関連しますが、表現の自由、報道の自由との関係でどうなるかということについて、あまり警戒感が見られないで、法律の改正のための議論の作業が、その論点からの批判的な検討、報道無しに進んでいきました。
法案になって国会にかかったぐらいのときに、いきなりまたメディアの報道の自由との関係でとか、そもそも個人情報保護法が匿名社会を生んでいるとかといった批判が来ます。
はっきり言うと、そのタイミングで声を上げられても遅いと思います。IT企業、あるいは経団連を含めて、企業やさまざまな団体が、この法改正のときにもっと前の段階からいろいろな意見を主張したり、ロビイングをしたりということがあって、実効的に取り入れられるものもあれば、取り入れられなかったものもあるわけです。
それを二歩、三歩遅れたところで、たくさん報道界から意見が出されます。意見や情報の取り扱いのプロフェッショナルであるマスメディア界として、まさに自分たちの意見とか情報の流通にかかわるような法律について、それと気づかずに通してしまい、後になってからいろいろ大きな問題として取り上げられるという点を非常に懸念しています。
もう一歩進んで言いますと、例えば個人情報保護法の改正の問題や特定秘密保護法の問題について、マス倫懇の「メディアと法」研究会などでは各社の記者が集まって、かなり早い段階から問題意識は共有して議論しています。それが、各メディアの報道になって大きな世論をつくっていくことに成功している例もありますが、必ずしもそうならないという例もたくさんあります。
もちろん各社には編集の自律があって、いろいろな判断があると思いますが、ちょっとワンテンポずれています。
若干きつい指摘になっていると思いますが、平尾さんとか鯨岡さんから、意見や反論などはいかがでしょうか。
平尾=個人情報保護法については、大きな流れの中で多分遅れていたと、私個人の考えですけれども思います。
もう少し前の段階から動けただろうし、その後かなり問題視していろんなことをやってきましたが、多分先生のおっしゃるとおりだと思います。
ただ、報道の自由との絡みについては、本当にいつも戦っているところで、やっていかなければいけないと思っています。
鯨岡=ご指摘のとおりと言わねばならない部分もあると思います。新聞、メディア全体ですが、起きてから騒ぐという特性がありますが、個人的には起きる前に指摘することが一番大事だろうと思います。原発事故とか震災についても、その前から現場では取り組んでいますが、そういうスタンスの記事、取材の仕方、紙面の構成の仕方が求められていると思います。
やっぱり起きてから初めてみんな騒ぎ出すというのはずっと変わっていないので、それがいまご指摘の問題に限らず、いろんなことで起きてしまっているという気はします。
宍戸=先ほど吉田さんの話の中で示唆的だったのが、協業という話です。いままでと同じような問題の起き方であれば、メディアの方はノウハウがあってうまく捉えられるわけですけれども、いままでと違う問題の現れ方をしたときに、必ずしも敏感に反応できません。そうなったときに、いわばジャーナリスト的な専門家、あるいは外のNPO、専門的な知見があったりする人、あるいはネットで発言をされる人などを見ながら、こういうことが起きているとうまく取り込んで記事にしていくとか、そういった人たちと組んで報道をやっていくといったような協業は、一つのキーワードだと思います。現実的に今後メディアが外に向かって自分を開いていくことは可能かつ有用なのでしょうか。
鯨岡=非常に重要だと思っています。
専門記者であっても専門家にはなれませんので、そこはやはり専門家の力を借りることは大事です。だから、最近の自分のところの例で言うと、「ご飯論法」というのがあって、ネットで話題になっていて、経過を見た上で、面白いとなれば紙面にも取り上げて、さらに広がっていったりします。その中で、専門家の知見を取り入れていくというのは、昔よりははるかになっていると思います。
だから、自分たちだけで考えてという時代はもう終わっているので、それはこれからどんどん進んでいかなければいけません。
宍戸=そうですね。問題提起をされた田近さんは、逆に報道の立場に戻ったときいかがですか。例えば、雑誌はもともとそういうことを十分にやってきたと思われるか、それとももう少し外に開いていって、より有力な外の専門的な知見のある人と組んでいくために、メディアあるいは雑誌にどういう活動が今後あり得るか、この点はいかがですか。
田近=全体的にはわからないですけれども、弊社としては、マルチメディアみたいに言われたころから割と先取りするのが好きで、よくインターネットなども目を配り、結構早い時期にやっていました。いまもそういう意味では、専門の人に頼んでニュースサイトを作るなど、どんどん開いていっていると思います。基本的に会社としては、マルチメディア、ニューメディアという方向にどんどん踏み込んでいきたいという姿勢は持っていると思います。
宍戸=ありがとうございます。
川端さんの場合は地方紙なので、まさに地域に密着して、それぞれの住民、あるいはいろんな住民の中で起きていることに踏み込んでいって、いろんな方と連携して、その地域の課題を解決していくことを特に強く追っていると思います。その上でこの後の展開についての課題は、何かお感じになることはありますか。
川端=協業の話もありましたけれども、実際に新聞社として得た情報を、例えば、大学と共有して、いかに広く発信するかという手法を考えるというのは、震災という大きな出来事以後、弊社でも真剣に考えました。いろんな形で社として持っている情報を、社内だけにとどめることなく、多くの方に理解していただくために発信する方法は、連携という形でやっている事実もあります。
地方紙という立場から言うと、地域の情報を、どこまで共有するかというのは、記事とか中身によって違うとは思います。やっぱり発信をしなければ伝わらない部分はあると思うので、そこは鯨岡さんもおっしゃっていたように、うまく取り込んでいくという発想の転換、柔軟性は、これからどんどん大事になっていくと思います。

(2)期待と課題

宍戸=最後に、本シンポジウムのテーマである「メディアの信頼」を維持獲得するために、今後どうしていくべきかについて、一言ずつまとめとしていただければと思います。
平尾=10何年か前か、ネットがそろそろ来るという時代から、いろいろ危機感は抱いていて、何かしなければいけないということは、会社としても、私たち自身もいろいろ考えていました。もうなくなるとか、そんなことを考えた時代から、いまここに来てみると、確かにいろいろ新聞業界は厳しい状態ではありますけれども、やはり信頼できる、確かな情報を伝えるということが、私は本当に改めてクローズアップされていると思っているので、いままでやってきたことをしっかりとこれからも続けていくことが、いま本当は求められているのではないかなと思います。
間違いない記事、事実に基づいた記事、裏づけをとれた記事をしっかりと出していかない といけないと強く思います。
もちろん、協業などいろんなことを考えなければいけないのですけれども、私たちはその一番の柱をもう一度見詰め直してやるべきだと改めて思っているのが実情です。
天野=基調報告の中でも、情報の公共空間という話がありました。やはり犯罪報道の中で、被害者の情報が出るというのは、そういう側面があると思います。
だとしたら、事件が起こったそのときだけではなくて、犯罪被害によってどういうふうな困難に向き合ってきたのか、どういうような苦難があったのか、いまは経済的な支援の問題も山積しておりますので、犯罪によって受けた苦難に関しても社会全体で共有していきたいと思っております。
そういったことを考えると、いつどこでこういう事件が起きて、それはどうして起きたという検証の重要性は理解しておりますけれども、それで言いっ放しではなくて、被害者の方々がどういう問題を抱えながら、何年も何十年も生きているのかとか、それによってどういう問題が生じているのかということも、ぜひ取り上げていただけたらと思います。
鯨岡=私も平尾さんと全く同意見です。新聞ができることを全力でやっていきます。
つけ加えると、新聞社として、全国的な取材体制とか、官公庁の情報へのアクセスとか、一人一人のたくさんの有能な記者とか、やっぱり非常に貴重な財産を抱えていることは、各新聞社は間違いないと思いますので、それを世の中、情報空間がよくなるように、全力でいい方向に向けていくことが大事かなと思っています。
川端=信頼という意味では、何より地方紙という立場から、きめ細かい情報網の価値、地域とともにというところをこれからも続けていくことはもちろんですけれども、例えば、実名や匿名において、なぜそういう形なのか、報道する側の意図、取材の考え方、そういうのをもう少し外に発信していく必要があるということを感じました。
田近=最初の「実名」の問題について言うと、バランスが悪いから信頼感をなくしていると思っています。もっと強い者の名前を出せと思います。例えば、少し前に国会議員に暴言を吐いた空自の3佐がいましたよね。彼の名前がなぜ出てこないのか疑問です。軍隊なら少佐クラスの将校ですから名前を出してもいいと思います。
強い者の名前がどうも出てこなくて、弱い人の名前が出てきてしまうところにバランス感覚を欠いているという感じがあるのではないでしょうか。読者から見ていても、何なのだろうなというところがあると思います。
市民の間に入っているとわかりますが、これは報じてほしいと言うとき、雑誌に報じてほしいとは言われず、新聞、テレビにと言われます。それだけまだ信頼感を持っているのです。ちゃんと報じてもらえれば、正しい情報として伝わるという意識は皆さん持っているので、まだメディアに希望はあると思っています。
宍戸=今日のパネルディスカッションをまとめることは不可能ですけれども、いま Society5.0といわれ、データの流通が進んでいって社会が変わっていくのだという動きの中で、全ての産業分野とか人間の生き方は当然変わっていかければいけない、社会とか政治のあり方も変わっていかなければいけないのだ、と言われております。
そうなったときに、報道とか取材は、生身の人間が生身の人間に対してやっていることなので、まさに人間として個性を持って、そして専門的な能力を持ってぶつかって、事実を発掘して世に訴えるという作業が、逆に決定的に必要になるのだろう、それを捨ててはいけないのだろうと私は思います。そういう能力を深める、高めることによって、いつの社会でも変わらないマスメディアの機能と、世論形成を果たせるのではないかと思います。

(了)

公開シンポジウム

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年に1度、「いまマスコミに問われているもの」をテーマに公開シンポジウムを開催しています。
【平成27年度の開催は終了しました】